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明日がまた来る。

とある女。

6月になってしまった。大体この2ヶ月、なんとか出来ている仕事以外でいつも差し迫っていたこと、つまり芝居ごと(舞台というコンテンツ)が特に出来てなかったのだが、サーっと過ぎていったので、時の流れは忙しさと関係ないんだなと思った。

季節もあるし、疫病の影響でいつも詰まっていたものに対して余裕ができたので、過去に意識が飛んでいくことが多かった。といっても、飛ぶ感覚ではなくて、ふっと湧き上がるような感覚だった。なぜ急に思い出すんだろうということや、今までの感情や行動に理由をつけてくれるものまで。今まで考えても考えてもわからなかった原因や理由という過去から現在まで、ネガティブなことからポジティブなことまで、急にポコポコと湧き出て消えない泡として浮かんできた。その湧き出て消えない泡を、ただひっそりと見たり、見つめられないものは解決しようとした。それが原因かわからないけれど胃酸過多で吐いてしまった。もしかしたら胃の調子の悪さが原因で思考や感情がそんな方向にいっているのかもしれないけれど、そんな1.2週間だった。感情と思考がうまく噛み合わず、感情が身体を支配していた。

今日、実家に帰った。この疫病騒動中合間をぬって引越しをした、新しい実家に会いにきた。私が生まれて4回実家は引越ししているのだが、その中でもこの家は一番2階が見晴らしよく、空も緑もよく映えていた。またリフォームをしっかりしたので壁にいろんな施しがある。居間の壁にはムーミンが住んでいた。

胃の調子は未だ本調子ではなかったが、両親が平均体重の7割ぐらいしかない私を今更ながら心配してくれているようで、焼肉を食べようとなった。昨日買った薬を胃に流し込み、白ご飯を食べて、ゆっくり無理せず欲張らず食べ、その後人が過疎している銭湯につかり帰り、ムーミンを眺め、そして今ベッドの上にいる。

いつものリズムとは全く違うが、今、私は、ポコポコと浮かぶ泡を横に、新しい実家に安心をし、食事を美味しいと感じ、湯船にゆったりと漬かり、布団に包まっている。

悲しいなとか、苦しいなとか、無力さや虚しさを感じつつも、生きていることを実感できる身体だった。身体はしっかり生きていることに喜びを感じているなと思った。私はまだ大丈夫だと、微睡ながら自分に言い聞かせる。後悔してもしなくても、私の明日はまた来る。

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