誕生日1ヶ月前を目前に思うこと。


とある女。

誕生日がこわい。この歳になって何を言い出すのか、みたいな話だが、とにかく誕生日がこわい。歳をとるから怖いとかじゃない。私は歳を重ねれば重ねるほど、過去じゃなくて今が一番いい、と思っている。特に男性の言う(何故かめちゃくちゃ男性の方が言われる。たまたま?)、若くないなぁみたいな台詞、くそくらえだ。若さなんて刹那的なものだ。過去があって今がある。大体まだ経験値も浅い小娘だ。知れば知るほど知らないことばかりだ。そして、わたしにはもう未来しか道はない。

けれど、誕生日だけ1年で一番こわい。誕生日という存在がこわい。私の自意識の問題だけれど、誕生日のトラウマがひどい。誕生日って、産んでくれた両親、また両親を産んだ祖父母、そしてまた…とご先祖様に感謝を述べたり、(もちろん環境が酷くて例えば産まれたことを憎く思っている人だっているので絶対的にそうだとは思わない。個人的な話だ。)今まで出会った人に感謝する日にしたい。ただ、

一番大事な人には忘れられたり、無碍にされ、傷ついてる。ことが多い。嘘だ。多くないはずだ。去年はありがたいことにお世話になってる周りの方や、ちょっと憧れてる人や近づきたい人にも声をかけて頂いて、今までで一番嬉しかった。感謝しかなかった。細やかな幸せを噛みしめられる日だった。いつも、本当にありがとうございます。

それでも、誕生日なんてなければいいのに。と思う。きっとここで言うのもおかしな話だが、私の人生の中で一番不幸せな台詞だ。「誕生日なんてなければいいのに。」祝われるか祝われないかだけで生きていけるかいけないか、みたいなことを思う。大事な人に、覚えててもらえるか。誕生日なんて考えず、大事な人と、普通に、穏やかに、ただ目の前のものを愛でられたらいいだけなのに。

きっと普通こんなに拘る話じゃないと思う。何も考えずに誕生日を迎える人だっているだろう。自意識過剰なんだろう。けれど、恋人が私の誕生日を覚えていなかった年の日。両親が私の誕生日を無碍にした年の日。を、どうしても忘れられないのだ。そんなきっと大した話じゃなかったんだ。本当は。でも、私は、あの年に取り残されたまま、生きている、と、この時期になると思う。

認知の歪みだと思う。けれど、わかっていてもどうしても私が取り残されたままの日が、ある。許せない日がある。許せない人が、いる。許せないことに対してどうしようもないやるせなさと、私に唯一ある怒りが蠢いて、でも結局涙になって、目の前にある次に向かって生きていくしかない。助けに行きたくても、今の私が幸せだと感じることでしか助けられることができない。と毎回思うんだけれど。それでもまだまだ取り残された私が泣く。あの時は泣かなかったから、今泣くことぐらい許してやりたい。誕生日なんかなければいいのに。誕生日なんかなければいいのに。こう言う私を、いつか助けに行くよと思いながら、産まれてよかったよと思いながら。今日も何事もなく過ごしている。

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