拝啓 愛様

木々は彩られ、空気は澄み、人肌恋しくなる季節になってまいりました。

いかがお過ごしでしょうか。


単刀直入に申し上げさせていただきます。

私はあなたに一生囚われて生きることをここに誓います。


                   敬具



「女の子ってなんですぐ彼氏欲しがるの?」と聞かれたときにすぐに出た答えが「(その人が常に)絶対的な味方が欲しいと感じているから」だった。次々に恋人ができる人がみんなの周りにもいると思う。そういう人は「この人との未来を信じたい」「この人と過ごす時間、この人といる時の自分が好き」という一般的な恋愛の考え方ではないと私は思う。

「無条件で信じてくれる、そばにいてくれる……“恋人”とは雨に打たれ風に吹かれ、逃げ場がなく辛いとき寄りかかれるヤドリギのような存在。」

きれいにまとめてるけどそれってただの消費物じゃない?その人にとって“恋人”は寂しさを埋めるための道具に過ぎないのでは?


付き合うってなんだろう、人を好きになるってなんだろう。


愛ってなんだろう…実際に意味を調べてみるとかなり出てくる。相手を慕う情・可愛がり、大切にする・幸せを願う、深く温かい心…

goo辞書で素敵なものを見つけた!2013年に「あなたの言葉を辞書に載せよう。」キャンペーンを実施したそうで、たくさんの人から「愛」についての意味が寄せられ、載せられていた。

たとえば

「ケーキに書き込むメッセージを注文しているときの感情。」

「『独占欲』を綺麗な言葉で言い換えたもの。」

「恋では補えないもの。感情に勝る思い。距離や時間を隔てても朽ちないもの。」

「心のコタツ。」

自分ならどう言い換えるだろうと考えてみたけれど結構難しくて、それは私が心から焦がれるような思いで人・物を愛したことがないからかもしれないと気づいた。(焦がれるような思いで好きになったことはある。)

強いて言うなら「その存在が、生活や思考の一部になった瞬間」かなぁ

あの人ならどう考えるかな、なんで言うかなって思い出してしまう人、きっとその人は自分の中で大切な存在になっている。何か物をみて人を思い出すことはあると思うんだけど、思考が影響され始めたらそれは信頼だし愛だと思う。

自分に影響を与えて、より良い方向へ導いてくれた人、本、映画、ベッド(超大事)を私は好きではなく「愛」しているのかもしれない。



愛って一見重た〜い言葉だけれど、よく考えたらそんなこともないのかも?愛に人数制限なんてない。個数制限もない。

恋より先に愛が来ることもあるよね。それは恋愛ではなく信頼、尊敬、尽くしたい気持ちからくるもの。恋から始まる恋愛もあるし、愛から始まる恋愛もあるだろう。もちろん、愛があっても恋にはつながらないこともある(笑)

「恋」と「愛」が合致した人が運命のひとなのかな!!


恋愛と愛は切り離して考えていいものなのかもしれないってここまで書きながらぼんやりと思った。そして、最初の方に書いた「寂しさを埋めるだけの道具」はやっぱり恋愛にも愛にも繋がらないこともわかった。



正直愛とか正解のない概念に過ぎない。だからこそ私は探し続ける。自分の言葉で心から説明できるまで囚われて生きていくんだな。愛されたいという欲望にも囚われて、苦しみもがく覚悟を決めているよ。「愛している」と言うのは簡単だからこそ自分なりの言葉で伝えたいし態度で示していきたい。


(でも博愛主義にはなりません。)


文がヘタクソだなぁ…

またね



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