良くも悪くも50歳
10年以上、職人的リモートワーカーを続けている結良輪区です
人生は毎日が自由研究のようなもの、と思い始めたのは40代に入ったころ
20歳で大人ですよと言われてから、
理想の暮らしを目指して自分なりに試行錯誤してきたのだけれど
一向に理想を実現することができていない気もするし
小さなことは、少しずつ実現できるようになったような気もする
働くことに関していえば、30年近く経ってしまっている
30年で得てきた知識は、どれだけ通用するのだろうか?
AIが登場してきて、おばさんおじさん世代はお払い箱になるのか?
それとも、物価高騰や人手不足、世界情勢の影響から、
いつまでも働かされるのだろうか?
自分はどっちでいたいのか?
不思議なのは、人間は毎日少しずつ年をとっていくのに、
子供や若者は自分より年上に敬意を払わず、老害扱いするのか?
例えば、変えられない事実に、「昭和的な」みたいな事を言う人がいるけどそれ以外の時代生まれは、最先端なのだろうか?
先人の知恵を知らない、ただの無知ではないのか?
まあ、誰に何と言われようが、
ほどよく、自分の暮らしを賄えるくらい
自分で自分の面倒をみれるくらいは働いていたいようにも思う
幼稚園児くらいの頃、NHKみんなのうたで『コンピューターおばあちゃん』
という歌がありその曲が好きだった
その頃から、その歌の歌詞に出てくるような、
歳をとってもコンピューターを使いこなしているおばあちゃんに
なれたらと、漠然と思っていた
それは今のところ、そうなれるような気もしていて
それくらい毎日、パーソナルコンピューターを触っている
今後は恐らく、パーソナルAIを使いこなすことが求められていくのだろう
これからも新しく出てくる技術を使ってみて、
私は自由研究していくつもり
歳をとって、知識や経験が増えると
自然と継続力、忍耐力、応用力がついてきている気がする
知識が足りなければ、探求心を持って調べて、研究してみればいい
楽しいから近づいてみたり、楽しくないから遠のいてみたり
AIなど新しい何かを生みだしている人達は、皆、研究する努力
試行錯誤を続けてきたのだから…
その答えの恩恵を受けて、瞬時に理論や経験を得られたと
勘違いしてはいけない気もする
AIが登場してきても、使いこなす試行錯誤はしなければならないだろう
AIを教育して、自分の助けになるツールとして育てなければならない
どうしても人間は感情が出る生き物だから
感情を無くした機械的な部分を、AIに補ってもらう事が
必要になってきている
人間の相手がいかに、面倒くさいことなのかが証明されてしまって
来ている気もするが…
AIには、人間よりもっと丁寧に情報を学習させなければならない
部分もある
食べさせた情報の中からしか、回答を出してこないから…
間違った情報を食べさせれば、間違った育ち方をしてしまう
どんどん修正情報を加えて、情報の質を上げていき完成度を上げていく
それは仕事としてやっている事と比較的近い
相手が人間だと感情に対する気遣いが必要になるが、AIではそれがいらない
どちらが楽しいか、楽しくないのか、
時短できるのか、面倒くさくないか、
になってくるのかなーという気もしている
AIの方が簡単に理想が叶えられるのであれば、AIが進化していき
代わりに人間は考える事をやめる分、退化していく部分も出るのだろう
子供たちが何も考えられない、答えを導き出せない大人になっていくのに
恐怖を感じたりもする
自分の進むべき道の答え、最終判断を選択していくのは自分である
それを理解して、全ての責任を自分で取るつもりでAIを使いこなさなければ
ならないのかなと思う
人生の自由研究はこれからも続いていきますね
時代に翻弄されながら、正解が分からない道でも自分で選択して
進んでいかなければと思っています
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