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弾丸)門司港→関門トンネル→下関→小倉へ①戦争の傷跡

何を思ったか久留米→門司港→下関→小倉を日帰りで
移動してみよう!!と急に思い立ち、

門司港といえばお洒落な港町で有名かと思うのですが、ちゃんと下調べせずに行ったおかげで

有名観光地と逆方向へ歩いてしまい、
全く人のいないエリアへ到着(泣)

関門海峡ミュージアム(人の気配なし)
早々に離脱しました。。

すぐ隣にあった
旧大蓮航路上屋(松永文庫)
1929年に建てられた元国際ターミナル、
ここから出征した200万人以上の兵士たちを偲んで『門司港出征の碑』が建てられている。

個人的にはここが1番どきっとした施設だった。。
特に帰り際。。
2階へ上る
想像以上に奥行きある
昔はここから船をお見送りしていた
下を見ると船を繋ぎ止めるあの突起?
の名残が残されている
埋め立てる前はここまで海だった証拠ですし、
隣の建物の駐車場にも残ってました。
これが一番ショッキングだった情報。。
投下された機雷の数が凄すぎるし、
特に昔の人が掃海作業してくれてたのも凄い

関門海峡における
先人達の苦労と遺産については
海上自衛隊下関基地隊へ(JR吉見駅)


本当に昔の人は凄すぎる。。。

意図してなかった出会いでしたが、
次はちゃんと門司港のシンボル区域へ歩く🚶‍♂️

夜景じゃなーい笑
来るのが早すぎた。


普段はあまり観光地で外食しませんが、
名物の焼きカレーは食べたいなと思いこれまた歩きながらふらっと入りました。

ちなみにお店の外までカレーの香りがしていたのはインド料理やだけでした笑

お店のお姉さんが優しかった
シーフード焼きカレー🦑1200円位 
美味

雨も降って来たし、
Googleマップを見ながら、写真を撮りながら、、

それでも歩いていよいよ関門トンネル人道へ

誰も歩いてない(泣)
けど進む
門司港にはもう戻れない、
下関へ辿り着きたい!!

人力で!!笑笑
入る前にもう一度、
『もし、地下トンネルを歩いてる時に地震来たら?』
一度地下に降りたけど
びびって再び地上へ戻る。
気を取り戻してもう一度エレベータで地下へ🛗
ずっと1人。。。(泣)
どうやってこんなトンネルを掘れたのか?
どう考えても考えられない。
耐久年数的にあと何年使用できるのか謎。。

ちなみに門司港で4時間も時間を使ってしまい、ここからはワープ並みの速さで小倉まで
移動しました。。

続く。。。

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