大阪の校長のこと。

例の、大阪の中学校の卒業式の発言について、何日間か考えてしまった。

あまり雑にまとめるのはよくないと思いつつ、まあ、簡単に言うと「校長、超ずるいな」というのがわたしの感想。
何が起こったの?その話知らないんだけど、て人は多分もともとこの話にさして興味のない人だと思うのでスルーします。だって、ねえ、あんだけニュースでやってたし。
「大阪 中学校 校長 」あたりで検索してみればすぐわかる。

なんであんなこと卒業式で言うかなあ、人が何かしゃべるとき、しかも、卒業式の校長の言葉なんて、意図なくしゃべるわけのない場所で、そこには明確な目的があった、てことになる。
だから、「女性にとって最も大切なことは、子供を二人以上産むこと」は、やっぱり校長の強い主張なんだよな。
この日とってだしの発言だったのかな、普段から彼はこういうようなことを言っていたんだろうか。そこには、誰も「確かにそれは考えの一つかもしれない、けど、それが正しいこととは言えないんじゃないか」って言う人はいなかったのかな。
自分の考えの正しさを『少子化問題』の言葉でコーティングするあたりも、なんかちょっとずるくないか?って思っちゃう。
だって、少子化で問題にすべき点は、『女の人が子供を産まなくなった』ことじゃなくて、産みたいけど〜、どうしよっかなぁ〜、な女の人が、産まなくていっか、もしくは一人でいっか、になっちゃってることでしょ?そんで、なんで産まないかって言ったら、メリットとデメリット考えたとき明らかにデメリットが多いよ!ってなるからでしょ?
昔からずっと不思議で、今でも結局ピンときてないんだけど、女の中でも、とにかく産みたい!そこにあるのは本能だ!ていう人がいて、生まれてこのかた一度もそんなこと思ったことないわたしにとって、彼女らは、「子宮で考えてる」感じがする。正直、この言葉の不愉快さったらないんだけど、別に彼女らを嫌だと思ってるわけではない。あまりに不思議だから、なんとなくそう形容したくなるだけ。

話を元に戻すと、結局そういう『産みたい層』の人たちは、子に恵まれれば間違いなく産むし、わたしみたいな『産む気ゼロ層』の人間もまたいる、そしてそのどっちでもない、そこはかなりグラデーションの幅の広い大きな層があって、少子化を問題にするならせめてそこをターゲットにしなさいよ、と。
メリットだらけにして、マジ産みたくて仕方ないんですけど、っていう世の中目指す方が先じゃない?

校長は、校長だけあって、子供が大好きなのかもしれない。子供がたくさんいる世の中って幸せだよね、という思いがすごく強いのかもしれない。それはある面から見たら正論なのかもしれないけど、決して正しいことではないのに、誰も口をはさめない卒業式の挨拶で言うことじゃないよなあ。他の意見が飛び交うことが許されない場所で言うのはフェアじゃない。

「子育ては、親に対する恩返し」の言葉には説得力のかけらもない、親は概念じゃない、現実だ。少なくとも、わたしの親はわたしが子育てすることを恩返しだなんて思っていなかった。
親のため、国の未来のため、そんな曖昧な言葉で、世の中はそういうもんだよ、なんて言うのは卑怯だ。

そして、この校長間違ったこと言ってなくない?って思った人は、どうしてこんなに叩かれたのか、もう一度考えてみてほしい。もしかしたら自分が、ある一面からしか物事が見えてなかったかもしれないことに気づいてくれればいいと思う。
だからって、問題提起になって逆によかったよね、なんて1ミリも思ってないけど!卒業式で
滔々とこんなこと言っちゃう校長なんてやだよ!

と、何日間も自分の中で暴れる何かを形にしてみました。
大阪の校長、のこと。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?