足、のこと。2

【痛みのはじまり】

あれ?と思ったのは2014年の夏頃からだったと思う。最初は右足のすねが少し歩いただけで痛むようになった。10分も歩くと痛い。気づけば自宅から駅までの道がしんどくなっていた。何度も立ち止まり、さする。自転車をこぐのはまったく問題なかったので、どこに行くにも「歩かない」ことを第一に考え、移動は基本自転車か原付、ウインドウショッピングはあきらめた。芝居の稽古中も痛かった。立ち芝居が続くと、ワンシーン終わるともう痛む。でも痛いのは股関節じゃなく、あくまでもすねのみ。だからもちろん原因が股関節にあるとも思わず、鍼に行ったり整体に行ったり、整形外科ですねのレントゲンを撮ったり、原因の解明までかなり回り道をしてしまった。8千円もかけて遠くの整体にまで行って、「痛みを受け入れればいい。ありがとう、ごめんなさい、愛してる、と言いなさい。」と言われたときは、さすがに泣いた。だってもうその帰り道に痛かったから。つぶやいてたのに。

【股関節臼蓋不全】

わたしの股関節は生まれつきかぶりが浅い、「股関節臼蓋不全」である。しかも両足。小さな頃から、大人になったら足が痛くなるかもしれないよ、と言われてきた。妊娠・出産、体重の増加、などにより股関節が耐えきれなくなるというのが原因らしい。痛みが出たら「変形性股関節症」となる。とは言え、たくさん歩いたり、ずっとしゃがんだりしてるとなんとなく鈍痛、はあったけど次の日には治るレベルだし、まったく気にしていなかった。むしろ、けっこう激しく踊ったりしても大丈夫なんだからわたしは平気なんじゃないか?くらいに思っていた。やっぱり、ある程度他の部分の筋肉ががんばってたおかげで30過ぎまで痛みもなく暮らせていたんだろうし、その筋肉はまぎれもなく自分のやってきた演劇のおかげだ。そして、この後のことなのでまたのちに書くが、リハビリを頑張れたのも演劇のおかげだ。一生大丈夫なんじゃないか?というわたしの読みは外れたけど。

【大学病院紹介】

とにもかくにも痛みがなくならない。痛みがあるのが日常になった。朝から晩まで少しずつ不機嫌な感じ。起きたら痛くなくなってますように、と願って次の日の朝ため息をつくような。股関節臼蓋不全のため毎年検診を受けていた近所の整形外科で、「レントゲンだけだとはっきりしたことがわからないのだが変形性股関節症が進んでいるのかもしれない。一度、専門の先生を紹介するので行ってみませんか?」と言われる。紹介されたのは2つ。人工関節を得意とする玉川病院(東京都世田谷区)と、わたしのやった術式『RAO』の上手な先生のいる慈恵医大第三病院(東京都狛江市)。どちらも当時住んでいた家から通える場所にあった。近所の医者はわたしに慈恵医大第三病院をすすめた。それは、あとから知ることになるのだが若年性の変形性股関節症の場合「人工関節手術派」と「自骨手術(自分の骨を切って手術すること。RAOもその一つ)派」にわかれる。そして、近所の医者はバリバリの「自骨手術派」だったのだ。「慈恵医大にはわたしのツテがある。しかし玉川病院にはない」「玉川病院に行ってもいいが、慈恵医大の先生にはそのことは言わないように」「あなたの年齢で人工関節を入れるのは、耐久年数の面から考えてもオススメできない」等言われた。情報の多さに飲み込まれる前に、そしてそこはかとなく丸め込まれてる感じを知識でカバーする為に、まずは「変形性股関節症」と向き合わねば、と思った。そのくらい、その頃のわたしはまだ何も知らなかったのだ。自分の身体のことを。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?