足、のこと。10

【ついに退院】

足の痛みは少しずつよくなっていたが、相変わらず両松葉杖のままだった。ロフストにならないと退院できない、と最初の説明で言われていたので、しばらく帰れないのか...なんてかなり落ち込んでいたのだけど、シルバーウイークを目前に「このままここにいてもすることないし、退院する?」との言葉。リハビリもお休みになっちゃうし、骨のくっつくのを待ってたらあと何週間かかかるから、おとなしくしてるなら、病院にいても家にいても同じだよ、と。おとなしく、の条件がわりと細かくて、わたしのしそうなことなんてお見通しなんだろうなあ、と恥ずかしかったけど、そんなことより、掴み損ねた「退院」が向こうからやって来てくれたのが本当に嬉しかった。わたしはとにかく家に帰りたかった。心の底から入院生活にウンザリしていたし、一時外出で帰宅した日からずっと、家に帰りたい、家に帰りたい、そればかり思っていた。ちなみに退院の条件は『家事は“ほとんど”やらない』『外出時は松葉杖2本使用』『家の中は松葉杖1本、でもなるべく歩き回らない』『ロフストは退院後1ヶ月後の外来までは絶対禁止』『毎日忘れずにセーフスをやること』とにかく調子に乗るな、無理するな、と言われた。60日間の入院生活、両松葉杖での退院だったけど、患者idバーコードのついたリストバンドを切り離して、ようやくわたしは自由になった。

【引っ越し】

手術をする前からわかってはいたが、当時住んでいた家は2階にあり、今後のことを考えたら絶対に1階の家に引っ越したい、と考えていた。入院中から物件を探していて、旦那さんに見に行ってもらったりしていた。そこで1件、どうしても気になる物件と巡り合ってしまったのだ。できれば早くわたしも見に行きたい、あの家が他の人の手に渡るのはなんだか悔しい、そう思ったわたしは退院の2日後に内見に(無理矢理)行く。最寄り駅までタクシー、電車は全部座り、ホームから改札の移動もエレベーター使用。不動産屋も、「実はおととい退院してきたんですよ〜」というわたしの言葉には軽く絶句だった。あんなオンボロの家、なんでこの人はそうまでして見に行きたいんだろう、という心の中を今なら簡単に想像できる。そのくらい、おんぼろだった。それでもわたしには素晴らしく魅力的な家だった。そして退院して2日後に、新しい住処を決めた。縁もゆかりもない場所で始める新生活は、わたしの新しい人生のはじまりとして何か素敵な予感しかしなかったし、それは今でも続いている。

【整形外科と出会う】

退院後、引っ越しまでは慈恵医大へリハビリに通っていたものの、引っ越してだいぶ遠くなってしまったので近所の整形外科を探すことにした。家から通いやすく、理学療法士がリハビリ指導をしてくれる、運動療法に力を入れているところ。慈恵医大第三病院は、RAOの手術という意味では大谷ドクターもいるくらいだから、すごくいい病院なんだと思う。ただ、リハビリ環境が良かったとはお世辞にも言えない、と正直な気持ちで書く。1日に30分程度のリハビリ時間があっても、理学療法士(以下、PTと呼ぶ)とマンツーマンではなく、同時間帯に何人かを掛け持ちで見ているので、「次は30回これやってください、終わったら呼んでくださいね〜」みたいな感じで、運動中の筋肉の動きをほとんど見てもらえない。このリハビリのやりかたでは、筋肉を大きく損傷しているわたしのような手術の場合、運動のときの筋肉の使い方によっては、まったく運動効果があがらないことになってしまうので、それではハッキリ言って意味がない。ネットでさがした、なんとなくよさそうだなあと思って通うことにしたH整形外科は、変形性股関節症でRAOの術後の患者を診たことはほとんどなかったようだけど、先生もPTもとっても勉強熱心で、筋肉についての勉強とリハビリにおけるポイントはここでほとんど学んだと思う。noteに残そう、と思ったきっかけというのも、そもそもRAOが手術の側面で語られがちだけど、実際は術後のリハビリで予後はかなり変わってくると思うし、そこに関する記述がかなり少なかったので、今後の参考にしてもらえたら、という気持ちからだったりする。整形外科手術、という意味ではもちろんそうなんだけど、なんていうか、骨を切ってうまくくっついたからって絶対成功とは言えないんじゃないかな、と思うんだ。思い通りに歩けるようになる、痛みなく生活できる、ここらへんが想像するゴールだと思うし、少なくともわたしはそう思っている。で、その為にはリハビリが大事、そして一緒に伴走してくれる有能なPTが必要不可欠!

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