足、のこと。5

【喧嘩をした】

単なるわたしの八つ当たりでしかないのだけど、手術を決めてから旦那さんにイライラすることが多かった。友達に言われても「しょうがないか」で済むことが夫だと許せないのはなぜか。わたしはとにかく一緒に戦ってほしかった。わたしからの聞きかじりだけで納得してる、なんの知識も持たない能天気な発言は、家族としては許せなかったのだ。ある日それは爆発した。ささいなきっかけだったんだろうと思う、わたしは号泣しながら、なんで何にも知らないんだ、病気の知識もないくせにわたしの気持ちなんかわかるわけがない!とか色々言った気がする。「そうだよね、ごめんね。」と言った彼は次の日からわたしの何ヶ月か遅れで、googleでかつてわたしが調べた同じページを読みあさっているようだった。こんなこと書いてあったよ、と仕事の合間に送ってくれるインターネットサイトはもうほとんど知っているものばかりで、思わず「おっせーよ。」と呟いたが、そのときのわたしの顔は最高に幸せそうだったんじゃないかな。

【最後の舞台】

2015年5月に舞台が決まっていた。ブス会*『女のみち2012再演』。手術を受けても、手術が成功するとは限らない、リハビリがどれだけ順調にすすむかもわからない、絶対に舞台に復帰できるかわからないなら、これが最後だと思ってやろうじゃないか、と思えたときは心の底からスッキリした。戻るかもしれないし、戻らないかもしれないし、戻れないかもしれない。でも区切りとしてはこれ以上ないくらいありがたい公演だったと思う。初演とまったく同じメンバーで、スズナリから芸劇へ。毎日満員だった。礼をするたびに、そこにいるお客さんたちがどうかわたしのことをできるだけ長く覚えていてくれますように、と願った。さすがに千秋楽のカーテンコールは泣けて泣けて仕方なかったけど、あとから「今日宮藤官九郎さんきてたんだよ〜」と聞いたとき、万が一わたしのぐしゃぐしゃの泣き顔を見られていて、あの人めっちゃ泣いてんな、と思われてたら恥ずかしいなあ、ああ泣かなきゃよかった!と思った。

【仕事をやめる】

なんだかんだ10年近く働いていたオーガニックの食料品店もやめることにした。術後もまともに動けるまでどうやら何ヶ月もかかるらしいし、オーガニックと言えばなんとなく聞こえはいいけど要はほぼ八百屋だし、冬場のまるまる太った大根なんて思わず「マグロかよ!」と言うくらい重い。でも、稽古中の大変な時期でも新鮮な野菜に触れると自然のめぐみをたっぷり身体にいれられる感じがして、スタジオと家だけの毎日の中でリフレッシュできる大切な時間だった。平行してもう一つやっていた、ハウスクリーニングのアルバイトもやめた。そっちも10年近くやっていたことになる。決まったおうちに行って掃除をする、あるおうちのおばあさんのことをわたしは大好きになってしまって、彼女が元気なおばあさんから元気じゃないおばあさんになるまでずっと通った。面白いお話をたくさんしてくれたし、いつもお土産だよと言って小さいお菓子を握らせて、子供じゃないのにねえ、あなた、お菓子なんて、わたし変なおばあさんでしょう、と言って笑うのがお決まりだった。最後の日はもうわたしのことをわたしだとわかっているか微妙な状態だったけれど、元気になったら絶対また会いにきます、だから元気でいてくださいね、と言って別れた。それが最後になった。わたしが入院した日に亡くなったと、その後入院中にきたメールで知った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?