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書いて、わたしのケアをする

グリーフ(悲嘆)とは


「喪失に対する全人的な反応(精神的、行動的、社会的、身体的、スピリ
チュアル)、その経験のプロセスである。グリーフは喪失に対する個人的な経験であり、喪失とは死のみをさすのではない。」(Rando1993)

私が働く医療施設には、病気、怪我、障害など様々な理由で入院されてる方がいる。

Aさんのリハビリ担当になったのは、約3年前。必要以上のコミュニケーションは取りたくない、決まったことだけをルーティーンでやりたい、思い通りに進まないと怒り出す…前担当者からは、そんな引継ぎ内容。

淡々と訓練をする日々。

会話は冒頭の挨拶と、時事ネタで会話を投げかけても、頷きか首振り、
違う、うん、とかそんな感じ。人には人のスタイルがあるし気持ちもある。

少し様子が変わってきたのは担当して1年半ぐらい経ってから。
いまある機能を維持できるように、の訓練だけど、病は進行する。
今まで以上に会話でのコミュニケーションはとりづらくなって、書くことも難しい。使えるAAC(補助代替コミュニケーション)は限られてて、本人の希望もある。
段々と、出来ていたことが出来なくなっていって、苛立って、語気が強まることが増えて、より独りになりたがって、何よりリハビリに対する意欲が下がって行った。

でも、私の時間のリハビリには、前日体調が悪かろうと腰が痛かろうと、起きてくれた。車椅子に乗るのも一苦労になっていったけど、起き上がってくれた。

今までそのような姿見たことなかった。
というより、私が気が付かなかっただけだった。
気難しい人、というフィルターをかけて、あと時々わたしの死んだ家族を重ねていた。
恥ずかしいし、本当にごめんなさいだけど、それらが外れるまでには時間がかかったし、悩んだ。憂鬱になることもあった。

Aさんがすごくしんどい中、できればずっと横になっていたいと過ごしているのに、なぜ起きてきてくれるのだろう、とAさんの想いや希望を、
もっと、ちゃんと、真剣に考えに考えたら、色々なフィルターが外れた。
まだまだ未熟な私が、関わらせてもらっている時間がありがたく、尊く、毎週 A さんに会うのが楽しみだった。

Aさんと、山手線ゲームをしたり愚痴を聞いたり、 A さんの家族の話も聞いた。もっと聞けば良かった。相変わらずぶっきらぼうだったけど。
そんなある時、 A さんがまさかの天然ぶりを発揮して、二人で思わず笑ったことがある。初めて見たAさんの子どもみたいな笑顔。ちょっと照れてたと思う。あまりにおかしくて、嬉しくて、思わず同じフロアのNsさんに話したら、笑うときもあるんだよ〜!と教えてくれた。バカだなあ、わたしは。

言ってしまうと、Aさんはお空へ旅立ってしまった。
肉親や親しい人の死以外に悲しいことがあるのかと思っていたけど、悲しくて悲しくて悲しくて、悲しかった。

それからしばらくは、何だか身体がふわっとしながら働いていたし、
部屋の前を通って、空いたベッドを見ては寂しい気持ちになった。

日々の仕事に追われたり、話す機会がなかったりだけど、
もっとゆっくり、悲しみを感じて、過ごしたかった。
個人としても、医療従事者としても、自身のケアが必要。
みんな必要。
グリーフのプロセス(喪失と立ち直りの思いのそれぞれの心の動き)はひとそれぞれ。段階を踏んで、行ったり来たり、心が動いて、いつか、抱えながらも穏やかに生きていけるようになる。話したくなったら、何回でも話してもいい、こうやって書いてみてもいい。助けを借りていい。

書くっていい。


参考文献
下稲葉かおり:看護科学研究 vol. 16, 90-95 (2018),医療者のグリーフとレジリエンス 〜私たち医療者にケアは必要ですか?〜Healthcare professional's grief and resilience ~Do we need support and care for ourselves?〜

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