【こぼレビュー】トクサツガガガ

書いた:丹羽庭
出した:小学館(スピリッツ)

 隠れオタクとして特撮ファンをやっている社会人中村叶は、余り隠せていない少し年上の吉田や似てて非なるジャンルのアイドルオタクの北代などと出会い楽しく過ごすが、その人生には趣味を全否定する自分の母親との対決が控えていた。

 この作品を語る時にまず指摘したいのが「目玉焼きの黄身 いつつぶす?」とかぶる時期が多い連載であることだろう。どちらも実生活では重箱の隅のようなジャンル・趣味を拡大し、あえてこだわり、それをまた、うまく本筋へのフィードバックとして一話の読み応えやわかりやすさとして表現する。
 一話に一テーマを消化し、そのテーマに沿ったストーリーを展開する。一話の構成をしっかりさせる必要があり、また上記の作品でいえば全体を通したジャンルと無関係なドラマがありそのドラマの進行に一話ずつの積み重ねが大きく関わるようになる…。
 青年漫画にこの方式自体が市民権を得たのはやはりテルマエ・ロマエや孤独のグルメ(こちらは連載自体はもっと前からやってたけど)の大成功があってのことだろう。
 以前よりあった完全なジャンルモノ・業界モノと違うのは小市民のささやかな楽しみとしての一面にフォーカスし(テルマエロマエはそうとも言えないけど)一件無関係な人生哲学のようなものに繋げる部分だろう。既存の業界モノ系というのはやはりそれで生活している部分に力点があり、人生はジャンルにコミットしている。逆もまた然り。同時期なら「とろける鉄工所」など…。それに比して本作は、あくまで人生があり添え物である趣味にどこまでこだわるかというスタンスだ。
 この作品群は今後更に日常系マンガと合流し、「ハンチョウ」等更に発展した表現に繋がっていく。特にこの流れの中では重要な作品とは言わないかもしれないが、本作をあえて取り上げる理由についてはもう少し続く本レビューの内容からくみ取っていただければ幸いである。

 本作はニチアサ枠の特撮を中心に、どちらかというとメインストリームではない趣味全般を扱うといっていいだろう。いわゆる中野ブロードウェイなんかが作中に出てくるが、そういうような感じだ。作者の取材力…というか、ほとんどは本当の趣味だと思うけど、その描写の細かさには舌を巻いてしまうことだろう。
 書いていることの奇怪さとは対照に描写されるのは特別厄介なファンでもなんでもなく、「普通の人」であることは通底しており、同僚等とのシーンでも主人公らは少し変な人だという印象は残すものの、作中に「あの人は変な人だから」という展開にはしないところにドラマ作りのこだわりがある。つまり隠れオタクであることは特に主題ではないし(現実にはバレバレだろうが)ネタにもされていない。優しい世界がそこにはある。

 いくらあるあるに頼っても一話に一ネタを1ジャンルで200話やるのもすごいが、メインとなるストーリーをじっくり描く態度もすごい。
 先ほど、「普通の人」と書いたが主人公中村叶はシングルマザー家庭で育ったことと、母親との折り合いが悪いことが序盤に明かされる。
 母親はいわゆる女性的な趣味が強く、中村叶が興味を持てない可愛いアイテム等を押し付けてくることや特撮のような子供っぽく男性っぽい趣味に対して圧力をかけてくる記憶が展開され徐々に毒親的な面が見えてくる。
 圧巻はちょうど全体の真ん中に当たるタイミングで合鍵を使って勝手に部屋の中を物色していたことが明かされるシーンであろう。本作は日常系的なキャラクター描写というか”ドラマレス”とでも言おうか、人間同士の軋轢や禍根を全く描かないぬるま湯故の楽しさだった世界の保障という読者が一方的に約束していたものを反故にして、現実を突き付けてくる。
 この現実との本当の対峙がある点が本作を無視できないものにしている。
 作中でも何度か触れられているが、本作が扱うようなささやかな趣味、または”終わりなき日常”であることが肝心な日常系というのは実際には現実の人間にとっては早々に卒業するものであり、現実には前に前に何か(それは作中で結婚・子供と表現される)が待ち受けるものである。つまり日常系とはほとんど”過去形の”一番楽しかった時期と換言できよう。
 ユートピアと現実の両面を描き、なおかつここには役割のキャラクターもいない。
 地に足がついた200話は、1話完結なのに1話だけの為に作られたキャラクターも作中の役割の為に悪くなるやつもいない。毒親も含めて全員本当に善意しかない。また、それでいて理解が深く、人間を描き出している。

 作品の中で現実に当たる部分の仲村と毒親の確執は実際には親が出る回は実はほとんどないにも関わらず、常にその生活に影を落とし続ける。
 もちろんこの関係性もイグアナの娘が30年も先んじてやったことではある。だが、イグアナの娘では自身の結婚・出産というその時代ながらのオチの取り方をしたことに対して、本作は恋愛とは無縁であることになんの問題もない現代的な女性像を踏まえた親との関係を描いており、アップデートを含めた挑戦的な部分が見て取れる。何故なら、イグアナの娘のほうが当然わかりやすい問題の立て方だからだ。なんせ自分が子供を持つときに現実、つまりネグレクトの再生産をするかどうか、そこに話が向いた時点で完全に焦点は合ったストーリーになる。
 比して、本作はあえてこのユートピアをユートピアたらしめる「やめてもいい趣味」だけで通そうとしているのである。これは全く分が悪い戦いだ。もちろんイグアナ的パラドックスも主人公・仲村は自分がもし子供を持った時も特撮を見て楽しく暮らしたいと言ったところ「親と同じことをするんだな」と指摘されてるシーンでカバーしてはいるのだが。

 日常系生活から現実に目を向けさせるような作品というのも当然既にいくつか存在するが、やっぱり本作のつつましさ、棲み分けつつ、どちらも愛そうというのが素晴らしいんだよな。
 そこにはどんな生まれ育ちであれ、また山があろうが谷があろうが、人生を楽しむヒントは社会に偏在することを訴えている。

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