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スコットランドを歩く【歴史とともに生きる、とは】

スコットランドに来た。

恥ずかしながら、空港に着くまでスコットランドは1つの国だと思っていた。ここ、イギリスの一部なんですね。恥ずかしい。


街を歩く。

チェコと同じく、歴史的な建物の数々。壁という壁に使われている石の、重厚感のある感じ。
通行人は、こちらのほうが足早かも。「みんな、ここじゃない、どこか別のところに目的地があるんだろうなぁ」と感じさせるリズム。


歩きながら、なんとなく、チェコにいた時よりもリラックスできている自分に気付く。

訛りがひどいとはいえ、スコットランドの公用語は英語。「何かあっても、ここではなんとかなる」と心の底で思っているのだろう。
やっぱり言語が通じることは、海外では大きなアドバンテージだ。
(書いてみて思ったけど、これ、すごい当たり前のことだ)


街には、歴史があふれていた。

街角には、アダム・スミスやエリザベス一世など、誰でも知っているような偉人の像が佇んでいる。

ガイドの口からは、何世紀も前の話が当たり前のように語られ、城や教会では、宗教戦争の痕跡があちこちで見られる。

何百年もの歴史の堆積が、スコットランドの街をうっすらと覆っていた。


「700年前。ここでね、戦争があったんです」
「この銅像の人は、ここで生まれたんですよ」


街のどこを見ても、昔の出来事や当時生きていた人の存在を感じざるを得ない。

次々に見聞きする「昔」の話はあまりに鮮烈で、今そこに見えているはずのスーパーマーケットが、スタバが、Diorが、もう何百年も前の「昔」の存在によって霞んでしまう。

他の観光客みたいに「すげー!」と言いながら写真を撮る代わりに、僕はちょっと怖くなってしまった。

これだけ「昔」の痕跡がある中で、これだけ想像力が喚起されてしまう環境で、ひとはどうやって生活しているんだろう。

400年前にできた教会を改装してできたレストランがあった。
家族と食事をしようとそこに来たつもりが、ふとした瞬間に祈ってしまったりしないのだろうか。


「そんなことありゃしない」
ってこれを読んだひとは笑うかもしれない。

でも、そんなことがありえると思えるくらい街には歴史が色濃く残っていた。歴史が、教科書上のお話ではなくなっていた。


「歴史とともに生きる」こと。
未だに僕は、その身体を感じきれていない。受けた感覚を処理しきれていない。


ごめんなさい、結論なし。
ただ、僕はこの不思議な感覚を忘れたくなかったんです。


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