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ゲームレビューに物申す~FF15を添えて~

こちらの記事に足を運んでくださりありがとうございます。
よろしければ是非コメントやXの方でリプで感想なんかをお聞かせください😃

さて皆さんはファイナルファンタジー(以下FF)シリーズをプレーされたことはありますでしょうか?

私は主にPlayStationシリーズのナンバリングタイトルをプレーしてきました。

そして中でも好きな作品は10と15なのですが、
今回はその15にまつわる私の怒りの記事です笑

★FF15とは?

FFナンバリングタイトル15作目で、2016年にPS4およびXbox向けに発売日されたアクションRPGです。

以下、ネタバレあります!
ご自身の責任でご覧ください。

簡単なあらすじをご説明します。

まず舞台となる星は病に侵されており、
夜が徐々に長くなり、夜にはシガイと呼ばれる怪物がはびこっていました。

さらに巨大国家であるルシス王国とニフルハイム帝国は戦争を繰り返していました。

そんな中ようやく停戦協定が結ばれることとなり、その和平の象徴としてルシスの王子ノクティス(主人公、以降ノクト)はニフルハイムの令嬢ルナフレーナと結婚式を執り行われる予定でした。
ノクトには護衛として、グラディオラス、イグニス、プロンプトという名の男達がついていました。

右から、ノクト、グラディオラス、プロンプト、イグニス

しかしその当日、ニフルハイムはルシスの首都を襲撃、ノクトの父である王が殺されてしまいます。
さらに星の病と深く関わりのあるクリスタルを奪いました。

不本意にも若いノクトは、突如クリスタルを奪還するための旅を強いられることとなります。
そして各地に存在する歴代王の墓を巡り、クリスタルを奪還するための王家の力を手に入れる旅を3人の仲間と始めます。

道中で謎の男アーデンに導かれ、王家の力だけでなく六神の力も手にすることとなるノクト。
しかし実はアーデンは帝国の宰相であり、婚約者のルナフレーナの命も奪われてしまいます。

アーデン
ルナフレーナ


帝国はアーデンの手に堕ち、ノクトはアーデンに仕向けられ奪われたクリスタルと対峙することとなり、クリスタルに取り込まれてしまいます。

アーデンの目的も分からぬまま、
クリスタルの中でノクトは神の1人であるバハムートより、真の王の使命を知らされます。
その使命とは、死と引き換えに星の病を治すというものでした。
そしてノクトは真の王となる力を手にするため、クリスタルで10年もの眠りについてしまいます。

10年後、世界はもう夜につつまれていました。
長い眠りの中で星の病の元凶がアーデンであることを悟ったノクト。
目覚めたノクトは仲間達と合流し、アーデンとの最後の戦いに挑みます。

戦いの最中、アーデンはルシス王国を身を呈してシガイから救ったにもかかわらず、シガイに犯され穢れた存在とみなされ、弟が王になり迫害された過去が明らかになります。
王に対しての深い憎しみから、敢えてノクトを真の王になるまで導き、その上で殺すことで世界全てに復讐をするのが目的だったのです。

激しい戦いの末ノクトはアーデンを破ります。
そしてノクトは自らの命と引き換えに星の病を打ち砕き世界に朝が訪れます。

★成長と友情の物語


長いあらすじで失礼しました。

さて、あらすじではさらりと書いていました3人の仲間達。
この長い物語の大半はこの仲間達と行動を共にします。
年齢に差はあれど親友のように仲の良い3人の何気ない掛け合いや、衝突を経て何物にも代え難い友情が育まれていく様はこのゲームの最大の見どころだと私は思っています。

イケメン4人男衆がこれまたシュールで味があります笑


旅の道中、プロンプトというキャラが様々な写真を撮ってくれます。
写真は気に入ればアーカイブに保存し、旅の思い出を残してくれるといったちょっと粋なシステムもまたこの友情の旅を彩ってくれます。

いつの間にか写真を撮っているプロンプト
戦闘中の写真なども撮ってくれる

そして突如として世界の運命を背負うノクトの成長ももう一つの最大の魅力です。
ノクトは初めは典型的な "若造" という印象のキャラクターです。
ダルい、めんどくさい、そんな言葉がすぐに出てくる男です。
そして父が殺され、世界を救う旅に出る事になっても、自覚を持てず、不安に駆られ、逃げ出したくなったり、葛藤する様はまさに主人公らしからぬ一人の若者の姿でした。

大切な人の命を奪われ、傷つき、苦しみながらも、旅の中で仲間に支えられ、運命を受け入れたノクトの表情の変化が非常に印象的でした。

ファイナルファンタジーシリーズですので、そりゃあグラフィックも音楽もバトルも一級品です。
ですが私が感じた最大の魅力は「友情・成長の物語」という点だと思っています。

★FF15の酷評と私の意見

しかしながらこのFF15、非常に酷評を受けたことでも有名です。
いろんなレビューを見ましたが、ゲームシステムやプレイに関する内容は今回取り上げず、ストーリーなどの面では低評価を付ける人はおおむね以下のような点に言及している印象でした。

①男4人衆のビジュアルや関係が不自然で気持ち悪い
②ゲーム内でのストーリー説明が雑で良くわからず、キャラの感情移入ができない
③第13章が面倒でつらい

一つずつ意見を述べたいと思います。

①男4人衆のビジュアルや関係が不自然で気持ち悪い


これに関しては、感情で真っ向反論したいと思います!!
まずビジュアルはもうただの好き嫌いなので百歩譲って仕方ない部分はあるにしても、
仲良し男4人で旅なんて、それほど楽しい旅はないでしょう!?笑
そして何より、この4人の仲が良いこと、そして旅の中でさらにその友情は大きくかけがえのない絆になるということこそが、前述した「友情」の物語を最大限に感動的なものにするのです。
ですので、①の理由でこのゲームをダメだと判断してしまうのはとてつもなく勿体ない。

②ゲーム内でのストーリー説明が雑で良くわからず、キャラの感情移入ができない

私の理解力が乏しいということも大いにありますが、確かに私も初見プレーではストーリーをしっかり把握することはできませんでしたし、
劇中でも多くは語られず、DLC(ダウンロードコンテンツ)によるストーリー補足という部分も大きいとされている作品であることは事実だと思います。

一方で一度で理解できなかった私はというと、当時2周目を周回することはありませんでしたが、複数のゲーム実況者の配信や考察サイトなんかを見てこのゲームのストーリーを理解し、どんどん魅力に気付いていきました。

何が言いたいかと言うと、1回のプレーでストーリーの全てをばっちり理解できないからってクソゲー扱いで良いのかということです。
無論、そういう意見もあると思うし、忙しい現代人にとって1度のプレーで100%の満足を得ることができることがゲームという商品に求められるサービスだという考えも完全否定はしません。
ですが、何かこう、考えることを放棄しているというか、解釈や余白を楽しむのもゲームや映画やアニメなんかを体験する上で非常に楽しい点だと思うため、勿体ないなと思ってしまいます。

そしてキャラへの感情移入もそうです。
キャラが言葉や表情などで感情を説明しなければ理解できないということを言いたいのかなと思うのですが、実際の生活においても人とのコミュニケーションで言葉はなくとも感情を読んだり、行動の裏にある思いを勘ぐるのは当然のことです。
なぜゲームになった途端すべてが分かり良い表現に落とし込まれると思ってしまうのでしょうか。

このシーンをご存じの方も多いでしょう。

これはノクトが命と引き換えに最終決戦へ挑む前夜、
3人の仲間たちの前で発した言葉と涙です。

世間ではこのシーンはそのビジュアルとセリフのインパクトからかもはやネタとして扱われており、感情移入できないという声も多いシーンです。

が、10年の時を経て真の王としての覚悟を決めたはずのノクトが仲間たちの前でだけ見せた弱音と涙の意味は、これまでの長い旅とその中で繰り広げられたドラマや日々のたわいのないやりとりが教えてくれます。
王となったにも関わらずセリフが若者口調なのも、若かりし頃を共にした仲間たちの前でだからこそさらけ出せた" ありのままのノクト "だからです。
ストーリーの詳細がちょっとわからなかったとしても、そういった点は人間なら誰しもが感じ取れるし思い返せる部分です。

分からないからおもしろくないではなく、分かろうとすればおもしろいのだと私は思います。

一方でファンの間でも大変好評なFF10は、非常にストーリーが明瞭で、
キャラ同士の関係もしっかり描かれ、誰でも理解をし感情移入できる良作です。
当時小学生だった私ですら感情移入し、EDでは目頭を熱くしたものです。
おそらくそういった名作のあったナンバリングタイトルだからこその酷評であるのかなとは思います。
もし違う名前のゲームとしてスクエニがリリースしていたならば、違った評価になったのかもしれませんね。

③第13章がクソ


このゲームは章立てとなっています。
そしてFF15が酷評されるとき、必ずと言っていいほど挙げられるのがこの第13章です。
13章は、アーデンによってノクトと仲間たちが離れ離れにされてしまいます。
ゲームプレイにおいても、装備ははく奪され、ノクト一人で長い道中を魔物に襲われながら進むという非常に窮屈でつらいシーンが長く続きます。
もういいよって思ってしまうくらい本当に長い。。。
確かに当時プレーしたときはうんざりしたのは正直なところです。
なので、第13章はひたすらに酷評されます。

ですが、この13章を後から思い返すと、友情の物語をより壮大なものにするための大切なピースであったことに気づきました。

そもそもスクエニ、そしてFFほどのタイトルの制作陣がこの第13章がプレーヤーにとって苦痛であることは百も承知なはずです。
なのになぜ敢えてこのような章を設けたのか。
それはおそらく、「仲間の尊さ」を再認識させるためです。

これまでの物語では常に3人の仲間がいました。
魔物との闘いももちろん4人一緒で助け合って乗り越えてきたわけです。
その仲間たちが突然いなくなり、孤独な闘いを強いられるのです。
どのプレーヤーも「早く仲間と合流したい・・・」と思ったことでしょう。
そしてその思いこそがノクトの心の映し鏡であり、裏を返すと仲間の大切さ、尊さ、その存在の大きさを再認識できる章なのです。
そしてこの章を経るからこそ、エンディングに向けての友情・成長の物語を大きく強いものにしてくれるのです。

ゲームプレイとしては決して快適ではない章ですが、この章を入れた意味を考えたうえでの酷評ではないことが非常に悔しいのです。
一方で、FFほどのタイトルとなると、作品の随所随所に必ず「意図」「思い」があるはずで、制作陣がどういう思いでそれぞれのセリフやシーンを作ったのかを考えるのが本当に楽しいです。
たとえそれが拡大解釈だったとしても、ゲームなんて隅々まで楽しめたもん勝ちですからね。

★FF15が教えてくれたゲームとの向き合い方


思い入れの強いトピックでしたので思わず筆が進んでしまいました。
もしここまで読んでくださった方がいらっしゃったのであればまずは御礼を申し上げたいと思います。

さて、この一連のFF15を遊んだことと世間のレビューを受け思ったことは、
何事もダメなところ見つけ、論ずることは簡単だけれども、
どうせ汗水垂らして稼いだお金で「おもしろそう!」と思って買ったゲームなんだから、ポジティブに楽しもうよ!ということです。
大切な人生の時間を使っているのだから、楽しんで、感動した方が絶対いいし、プロゲーマーでもプロ批評家でもないならなおさらです。
弁護の余地のないどうしようもないクソゲーは世の中にあるとは思いますが、少なくともFFのようなゲームでは表面さらってクソゲーと言ってしまうのはあまりにも勿体ない。

神ゲーです!!!



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