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「人種がなんや。」

この国で過ごすのも早一年が経とうとする。


タイトルだけで話すことが分かる人もいると思いますが、今回は世界中で問題になっている“人種的差別”について僕なりに一年海外にいて感じたことを伝えようと思います。


人種的差別はなくならないと僕は考える


最近の話でいくとPSGのネイマール選手がマルセイユの酒井選手に対し、「クソ中国人」などの人種的差別発言が問題になりました。

よく考えてください。

サッカーの試合中でさえ、トップ選手でさえ、差別的発言をしてしまう。
こんなことが今もなおあることがこれからなくなるのでしょうか。


“差別をする人ほど心が悲しい人はいない”


ここに来て、暮らす中で人種的差別は無いとは言えない。
だが、僕はあるものだと思って海外に出たからあまり気にならなかったというのが本音。なぜなら、人のことを差別することほど心が悲しい人はいないというのが自分の考えだからだ。

僕もよく「中国人だ!帰れ」「コロナだ!」とか中指を立てられることもある。これが現実なんだといつも思う。僕たち日本人は海外の人からしたらアジア人はよく分かりづらいらしい。(僕らもモンテネグロ人とセルビア人の違いは分からない。)ただ、こういう発言をするのはほんの少しの人たちだけ。全員が言っていたらどんな国やと思うがどこの国もきっと一部の人が言っているのであろう。

逆に日本ではこういったことはないのかと考えた時にYouTubeで日本にいる外国人に聞いた日本の嫌なことというものを観た。そこでは、「あっ!外人や!」「黒人!」などと言われることがあるそうで不快になることもある。それも差別的発言になるのではないかと思った。


こういったことが世界中で起きている以上なくならないのではないだろうか。


他人のことをリスペクトすること。

それが例えば人種が違ったり性別が違ったりしていたとしても、1人の人として敬うことが本当に重要なことだと思う。
といっても、みんな人間だ。
好き嫌いというものは誰かしら絶対にある。無い人はいない。
無い人が全員ならこんなことを言う必要はない。

肌で感じることで少し考え方が変わり、学ぶことで知ることができ、知っていくことで自分の中の世界観が変わる。


今回は海外で暮らすことで日本では当人として感じることの無かった人種的差別について自分の思うことを書きました。
正直、コロナの影響もありアジア人への風評被害が多いですがそれも含めて海外だなと思います。
人種的差別を受けてから差別について考えるようになったし自分の考え方も少しずつ変わってきている。日本人としてアジア人として過ごすことを毎日意識している。それは自分にとってすごく良いことだと思う。

ただ、差別はいけない。

まだまだ知らない世界が広がっていて、そこに直面した時に自分はどうするのか、どう進むのか。が楽しみです。


最後に

これはあくまで自分の考えでありこれが全てなわけではありません。みなさんも人種差別について考え、行動にうつすことが必要ではないでしょうか。
そして、国内でも誹謗中傷などが多い現在。
同じ人種間で起こっている限り、人種差別問題はなくならないと思います。




読んでいただきありがとうございます。
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では、また!

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