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「来迎図」 若生竜夜

 砂色の丘をめぐり、かわいたみちのたどりつく先。冷たい湖の島に、あなたはたたずんでいる。灰色の幹のあなた。たくさんの枝を揺らすあなた。
 あなたはいつも、枝先から走る火花スパークにキラキラしている。陽光のようにも、月光のようにも、静かに降る星の光にも似た、電子の火花パルス。わたしは今日もみちをたどり、きらめくあなたに会いにゆく。そうしてあなたと得るゆるしを、迎えにくる船を、待ちわびて岸辺に立ちつくす。
 ひとしきりあなたを見つめ、あきらめた後、波打ちぎわに沿ってわたしは浜を歩く。朝のこの時間にだけゆるされている、つかの間の自由。深く息を吸って、風のにおいをかぐ。味わうのは、水のにおい。どこかから流れてくる、緑のにおい。まとわりつくフレアスカートのくすぐったさや、足の下で崩れる砂の感触。
 なぎさに光の亡骸なきがらが落ちていた。ちいさくまるく削れた硝子グラス。わたしの絶望が書き込まれた硝子製ストレージ3次元メモリ機構システムが波にゆだね、わたしへと打ち寄せたそれを拾い上げて、丁寧に水で洗う。あらわれた刻印はLV3-10レベルスリーテン。〈レベル3区画のナンバー10〉の意味、つまり今のわたしだ。戻ったら再生しなくては、と顔をあげる。
 遠目に見える人影。だれかしら。薄い灰色の上着に帽子、首ごと覆う青いコネクタキャップ。わたしと同じ色のキャップは、ご近所さんだ。
 近づくにつれ向こうもわたしに気づいたらしい。おはようございます。声をかけられる。やせていて、枯れかけた植物のような猫背の彼は、お向かいのLV3-09レベルスリーナインに入っている、白髪まじりの男性。
「船は見えましたか?」
 わたしは首を振る。
「影も形も。まだまだだとはわかっているのですが」
「覚えが有りますよ、はじめのうちはみなさんそうだ。〈LV3-10〉さんの刑期は何サイクルですか?」
「二九二〇サイクルです」
「ほほう、ずいぶんと長い」
「そうですか?」
「LV3ですよ」
 ああ、とわたしは思いめぐらせる。区画ごとに定められた数字の範囲、課された刑期によって、わたしたちは振り分けられている。きっとわたしのサイクルは、この区画に振り分けられる上限の刑期に近いのだ。
「しかしLV3で済んでいるのは、運が良いですよ」なんて冗談めかして笑われたけれど、あいづちを打てばいいのか、怒ればいいのか、わからないままわたしはあいまいに笑って聞き流す。
「〈LV3-09〉さんの刑期は、何サイクルでしょうか?」
 失礼かもとためらって、結局は尋ねることにした。先に踏み込んできたのは、彼なのだから。
「残りは四サイクルだそうです。でももしかすると、もう少し縮まるかもしれないと連絡が有りましたよ」
 ニコニコとした顔で、はぐらかされる。長いのか、ほどほどなのか、はぐらかすのだから短くはないはず。
 追いすがろうと口を開く前に、「では私はお先に」と、〈LV3-09〉さんが帽子を軽く持ち上げる。去られてしまった。わたしは彼を見送り、またなぎさを歩きだす。

 LV3-10レベルスリーテンへやに戻るとすぐに、京象嵌きょうぞうがんの箱のふたをあげた。中におさまるのはアンティークの蓄音機、ではなくて、蓄音機に見た目を似せたデータ再生機。あのころのあなたが自慢げに見せてくれたものと同じタイプだ。
 視線をめぐらせて確認するまでもない、LV3-10のへやはすっかりあなたの趣味で仕立てられている。再生機が載っているのは、ぞうつたが絡むあめ色の木テーブル。背高なキノコのランプは、淡いオレンジの光を壁に投げている。ゆったりと体を伸ばせる猫足のオットマンに、彼女・・を横たわらせ、あなたはあの日――。
 よそう、どうせ今から嫌というほど味わうのだ。
 苦痛が待っているとわかっていて、アプリを走らせるのは気がる。けれど、ここではわたしのもつ権利は、ずいぶんと多く停止されているから。嫌だなんて、拒否はできないのだ。
 オットマンに体を預け、垂らしたままの髪を片手でかきあげる。キャップを外してき出しになった左耳下のコネクタに触れると、有るはずのない感覚がピリピリと走った。
 硝子製ストレージ3次元メモリを再生機のくぼみに設置し、端から伸びる短いコードを取り上げる。今どき有線接続なのは、拘束のためらしい。どこにも逃げられやしないのに? 様式美かしら、なんて思ったりする。
 コネクタに差し込む瞬間には、またピリピリとしたなにかが肌のうえを走り抜けた。再生機のボタンを押す。アプリケーション起動。すぐに意識干渉が始まる。わたしの脳に彼女・・の意識が上書きされ、あなたとわたしが部屋に入ってくる・・・・・・・・・・・・・・・・……。


    * * *


 ふわふわしてェ、だるだるしてきた。ねむーい。だけどすごい楽しい。
 きもちイイ。このたかそーなイス寝ごこちイイよ。スキダヨー、イス、きもちイイよサイコー。
 ンふふアタシ今カイジョキィとブースター信号ってやつを首の挿し穴コネクタから流されてとろけちゃってんの。カイジョキィってのは、アー……脳みそをいじるアプリでェ、アタシのなんかをカイジョして―― ブースター信号があたまの中できもちヨくなるブンピツブツをたくさん出させたり? カンカクかわったりとかいろいろするんだってェ。よーするに強いおクスリのかわりだってェ、んフーン、ムズカシクてよくわかんない。けどきもちイイからいいやー。
『反応が激しいわ、だいじょうぶかしら?』
 アタシの横で機械をのぞきこんでなにかメモしてたお団子むすびのおばさんが、うしろのおじさんをふり返った。
『若過ぎる気がするけど、ちゃんと同意は得られてるの?』
『心配ない。若い方がいいんだ、変化がはっきりしているから』
『それは、そうだけれど……』
『実際良いデータが得られてるだろう』
『そうね』
『彼女は市民IDを抹消されてるから、万一が有ってもだいじょうぶだよ』
 もう少し大きくいじってみようって、おじさんがアタシに挿さる機械をさわって、信号がきた。ピリピリ。あンまたふわふわ。おしりの骨のとこがゾワゾワもする。だるーい。動けないよー。でもこんな楽しくてきぶんイイのはじめて。
 ほらァ、アタシ運がイイのよねー。お金なくてふらふらしてた。したらこのおじさんに声かけられたし。オニイサンたちのおしごとで、オッパイ触られたり使われたり・・・・・するよりイイ。ジッケン全然きもちイイヨー。運がイイヨイイわーサイコー。
 ふわふわゾワゾワイイー。ねえもっと、もっと強いの欲シー。もっとブーストするってェ、もっときもちヨくなるってコトじゃん。欲シー。ちょうだいピリピリ信号。きた。ふわふわ。ゾワゾワんふふ。
 まだいけそうだって声がする。アタシはどんどんとろけてっちゃう。
『さらにいじろう。もっと先まで試したい』
 ピリピリ。ビリビリ。ふわゾワ。ジッケンきもちイー。
 またビリビリ。これスキ。きもちイイ。ビリビリきもちイイヨ。イぅん。
 なんか息くるしい? ビリビリきもちイイのにくるしい。イイきもちイイくるしい。スキビリビリ。
 ビリビリなんで変だイイきもちイゥグ、ゾワゾワするうそ――アタシ運いくな、イイ、イイ、なに息できなイヤだコレる気グゥゥゥゥアタシ死ヌ死んじゃうくるしイきもちイイヨイヤなんで死にたひぐないタスケたすけゥグヤだたすけてヨォ動ケナイタスケィグゥァアアァアァアアアアアアアアアアアア……。


   * * *



 吐いた。いつものように。床にはいつくばって、吐いた。再生は終了している。彼女・・を模造した人工意識は、わたしから既に取り去られている。
 苦痛にも、恐怖にも、リミッターは有る。仮想空間ここではきちんと管理されている。けれどわたしは壊れずにレベル3を出て行けるのだろうか。れた口もとをそででぬぐいながら考える。
 わたしの実体リアル・ボディは頑丈な保護ケースの中に有って、現実世界リアルの施設で保管されているらしいから、きっと肉体からだが破壊されたりはしないはずだ。でも脳は? わたしの意識は? この先も負荷に耐え切れるの? LV3の刑は軽いだなんて、うわさはてんでうそだった。こんなに過酷なのだ、おかしくならないなんて能天気にはなれない。

    *

 砂色の丘をめぐり、かわいたみちのたどりつく先。冷たい湖のレベル4区画にたたずむあなたへ会いにゆく。灰色の軸索のあなた。たくさんの樹状突起を揺らすあなた。
 あなたは今朝も、いつもと変わらずに、枝先シナプスから走る火花スパークにキラキラとしている。陽光のようにも、月光のようにも、静かに降る星の光にも似た、電子の火花パルス。細切れにされたあなたとともに、ゆるしを、迎えにくる船を、待ちわびて岸に立ちつくす。
 ひとしきり湖を見つめ、あきらめた後、波打ちぎわに沿ってわたしは浜を歩く。朝のこの時間にだけゆるされている、つかの間の自由。心休まる唯一の自由。
 遠目に人影が見える。薄い灰色の上着に帽子、首ごと覆う青いコネクタキャップ。ご近所さんだ。
「おはようございます」
 近づいて声をかける。やせていて、枯れかけた植物のような猫背の〈LV3-09レベルスリーナイン〉さん。
「〈LV3-09〉さんは船待ちですか?」
 確かもうすぐ刑期が終わると言っていた。思い出して話題にあげる。
「迎えの船って、本当に来るのでしょうか? わたし、信じられなくて」
「来ますよ、私は昔見たことが有ります。あれほど美しい船は、ほかでは見られません」
 うっとりと語る顔が彼女・・を思わせて、そうですか、とだけわたしはつぶやく。湖に目を向ける。
 その時、湖面に美しい輝きがともった。西日のように強く輝いている。あの形は――。
「船だ!」
 〈LV3-09〉さんが声をあげて踊りあがる。
「私の迎えの船だ! ゆるされた! 刑は終わったんだ!!!」
「〈LV3-09〉さん!」
 少しでも早く船に拾われたいのだろう。彼は波打ちぎわを走って、ジャブジャブと湖に入ってゆく。
 西日の強い輝きが増す。美しいそれはもう船の姿ではなく……。
 まぶしさにすがめていた目をふたたび開けられたときには、わたしひとりが浜に取り残されていた。美しい船、確かにそうだ。なにもかもを救いそうな金色の輝きをまとった――。

 刑執行から七サイクル目。
 わたしたちの迎えの船は、まだ影すら見えない。



『来迎図』若生竜夜 サイバーパンク(4433字)
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