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「ブルガリでお茶を」 はまりー

 合格祝いにご馳走するよ、何が食べたい、そう訊かれたので石、と答えた。電話の向こうで佐和子が爆笑する。あんた、石て、わかんねーよ、いや、わかるけれども。佐和子とは中学からの腐れ縁でつきあった男のホクロの位置まで知っている。互いのことが分かりすぎてもう喧嘩もしなくなった。案の定、次の日新宿のごちゃごちゃした通りに呼び出され居酒屋のテーブルに付くと、わたしの食べたかったものが運ばれてきた。安っぽい皿に載った玄武岩。山盛りになった鉄マンガン重石。まるで血が滴っているような新鮮な辰砂。たまにはこんなジャンクなものもいいね。石に囓りつきながら佐和子が云う。親友の懐を心配してやったんだよ。カルティエのラージリングが食べたいなんて云ったら青ざめたくせに。わたしが答える。そしたら割り勘に決まってんだろが。合格祝いじゃなかったのかよ。笑い声にまぎれて食が進む。皿の料理が尽きかけたあたりで佐和子が急に真剣な表情をする。ねぇ、あの子のことを覚えてる、中学の。わたしは曖昧に頷きながら内心で驚いている。わたしも同じこと思い返していたからだ。あれは野蛮な時代だった。中学生のわたしたちと来たら無教養で無軌道なただの獣だった。クラスメイトと喧嘩になるたびに鉄より固い拳で互いの顔面を粉々に粉砕していた。友達のかけらが見つからず大騒ぎになったこともある。当時のわたしたちの最大の娯楽は校舎の屋上から飛び降りること。碧色や黄緑色をした女の子の身体がグラウンドで砕け散るたびに観客から歓声が上がった。わたしは首だけでゲラゲラと笑いながら級友がわたしのかけらを拾い集めるのを眺めていた。まったく若さと愚かさとは同義語だと思う。あの子はそんなクラスに転校生としてやってきたのだ。一目見てわたしたちとは違う、そう思った。つやつやした黒い髪。透き通った白い肌。制服がまるで似合っていない痩せこけた身体。あの子はわたしたちの遊びに混ざろうとしなかった。友達をつくる気なんてかけらもないみたいだった。いつも教室のうしろの席におとなしく座って窓の外を眺めていた。あの子は身体が弱いから気をつけて。先生からはそう言い付けられていた。いまでも思い出す。あの子はまるで違う世界の生き物を見つめるようにわたしたちを見つめていた。自分だけが特別なのだと云いたげに。わたしはそれが気に入らなかった。あの子は昼休みになるとこっそりと弁当箱を隠してこそこそと一人で食事をしていた。わたしは囓りかけの玄武岩を自分の弁当箱に放り入れ、あの子に近づき、その腕をぐいっと引っ張ってやった。とたんに嗅いだことのない臭いがわたしの鼻をついた。あらわになったあの子の弁当箱の中には異様なものが詰まっていた。魚の死体。植物の実に得体の知れないソースを掛けたもの。弁当箱の半分を埋める精製した穀物。わたしは悲鳴を上げた。植物喰らいだ! わたしたちの教室に植物喰らいがいる! あの子は顔を覆って泣き出した。わたしはすぐに先生に呼び出されて、こってりと絞られた。あの子は遠いむかしにわたしたちが滅ぼした植物喰らい(それも差別語で本当はニンゲンって呼ばなきゃいけないんだそうだ)の数少ない子孫だと教えられた。だから労ってあげなきゃいけない。教育を受ける権利は誰にでも云々。教師の叱責はわたしを素通りしていった。あの子の涙が忘れられなかった。透明な涙。タリウムやヒ素や鉛が混ざったわたしたちの黒い涙とは違う。あの子はわたしたちよりずっとか弱い。植物や動物を食べてやっと生を繋ぐ。わたしたちよりずっと短い命を。階段から落ちただけでもう動けなくなる。そんな儚い命に必死でしがみつくのはどんな気分だろう。それがきっかけでわたしはあの子と仲良くなった。なんてことはなかった。なんだか面倒くさくて遠巻きに眺めて中学生活の残りを過ごした。たまに帰り道で一緒になっても喋ることなんてすぐに無くなった。わたしが本気を出せばこの子の全身の骨を折ることだってできるのだ。そう思うと手も繋げなかった。掛けることばもなかった。わたしはわたしで自分の勉強や遊びや友達との喧嘩で忙しかった。あれは中学の卒業式の日。あの子は卒業証書を手にして満面の笑顔でわたしに掛け寄ってきた。初めて見るあの子の笑顔だった。わたし高校に入る前に手術を受けるの。あの子は云った。お父さんもお母さんも泣いて嫌がっていたけれどなんとか説得したんだぁ。わたしもあなたたちと同じ鉱物になるのよ。退院したらすぐにブルガリに行ってお茶にするのよ。ダイアモンドの姿焼き。イエローゴールドの窯焼き、最期にはお茶碗いっぱいのパールでお茶漬けをするの。楽しみだなぁ。わたしがなんと答えたのか記憶にない。そう。よかったね。そんなことを云うので精一杯だったのだろう。わたしは胸の中だけで失恋の痛みに耐えていた。家に帰るとベッドに横たわりわたしは泣くだけ泣いた。タリウムやヒ素や鉛の混ざった涙を。遠い昔の話だ。石英って歯につまるんだよなぁ。佐和子はそう云いながら鋼鉄製のつまようじをはしたなく唇に咥えている。ねぇ、これからブルガリに行かない。お茶にしよう。わたしが云うと佐和子はつまようじを落とす。いくらすると思ってんだよ。わたしが奢るよ。主任の地位も安泰だし。佐和子が緑色の顔をぱあっと輝かせる。話したいことがあるとみたね。なに、コイバナ? わたしは笑いながら玄武岩を囓る。硬度10のわたしの歯は岩の塊を容易く噛み砕く。わたしは云った。そう。コイバナ。


『ブルガリでお茶を』はまりー 植物のある風景(2247字)
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