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プロの手を借りて自分と向き合ってみたら、生きるのが気楽になった話

TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」の「相談は踊る」が好きで、月曜日から金曜日まで、夜ご飯を作りながらポッドキャストで聴いている。
昨日の相談で、印象深かったのが
「客観性があるふりをして、実は自分の主観から逃げている」
「自分を、後ろからではなく正面から見ないと」
というスーさんの言葉。
スーさんはよく「自分と向き合っておかないと、後でつじつまが合わなくなる」というような趣旨のことをおっしゃる。数年前、スーさんのラジオやポッドキャストを聴き始めたばかりのころ、この言葉にドキッとした。

その時の私は、40代も半ばにさしかかって、何となく「人生、うまく行ってないのでは?」と感じていた。仕事も生活も、手詰まり感というか停滞感というか、特に困ったことはないのだけれど、将来安泰だわねというほどの成功もなく、「このままぼんやり過ごしていると、“こんなはずじゃなかった”とか言う未来が来る気がする……」という、もやもやした感じ。
これって、今まで真剣に「自分に向き合って」来なかったせいかもしれない。そう思った。

ストレングスファインダーで「内省」と「分析思考」が上位に来ている私のような人間が、在宅勤務で家から出ない日々、こんなことを考え出したらどうなるか。ドツボというか、悶々というか、七転八倒というか……。
何となくそれっぽい内容(メタ認知とかマインドフルネスとか)のネット記事やポッドキャストや本に手を出してみては、継続的な実施に至らず。もちろん効果も出ないので、また他の「何か」を探す、という悪循環。

その頃の私は、よくソファで寝落ちしていた。通勤がないぶん、時間も体力も余っていたはずなのに、効率的に家事ができていなかったし、夕食の後、ソファに座ったらそのまま動けないのだ。
お風呂にも入らず、歯も磨かず、灯りをつけたまま眠ってしまう。3時頃に起き出して、罪悪感を抱えながらも歯を磨き、シャワーを浴びて、布団に潜り込んだらマシな方。明るくなるまでそのままで、通常の目覚ましで起こされて、超特急で身支度して、朝ごはん抜きで何とか定時ぎりぎりにパソコンの前に座る、なんてことも結構あった。
そういう日は、オンライン会議の画面に映る自分の顔がむくんでいて、髪がぺったんこで、化粧もしていないから顔色も悪くて、見るのが嫌だった。

そんな状態に陥り、私はやっと気づいた。
自分ひとりで、自分と向き合うのは無理だ。他人の手を借りよう。

「餅は餅屋」という言葉通り、プロを頼った。
パーソナルカラー診断、顔タイプ診断、骨格診断。これは似合う色や服装、メイクを知りたくて、誕生日にフルコースで受けてみた。
ファイナンシャルプランナーによる家計診断。これはいよいよ、お金のことも考えないとマズイよなと思って相談してみた。
さきほど出てきたストレングスファインダーやProfileXTなどの、いわゆる特性診断的なもの。これは会社が機会を提供してくれたので、これ幸いと乗っかって受けた。
あとこれは、ちょっと性質が違うかもしれないけれど、スーさんの真似してハリウッドブロウリフト。プロが「似合う眉にしてくれる」という点では「自分を知る」に入れてもいいかと思って。

感想としては、全てにおいて「もっと早くやればよかった!!!」に尽きる。
これをなぜ、義務教育で教えてくれなかった。バカリズムのコント『送るほどでもない言葉』で、卒業する生徒に対し、バカリズム扮する先生が「プロは、上手だ」と言うシーンがあるけれども、それは送っていい言葉だ。むしろ送ってほしい。
やってみて初めてわかった。お金を払って、上手な人に何かをしてもらうことは、自分自身をケアしている、大切にしているという気持ちを増幅させる。「クィア・アイ」が好きでよく見てるけれど、あれも5人のプロが「自分を大切にね」というメッセージを、それぞれの得意分野で伝えてくれる番組だ。
美容室で髪を切ってもらうと幸せな気分になるのは知っていたのに、ほかの分野で「プロを頼っていい」という発想がなかったのが不思議だ。そういえば、治療ではなくクリーニングで歯医者さんに行った後も、美容室の帰りと同じ幸福感がある。

もちろん、ただ受けるだけでは意味がないので、せっかくお金を払うのだから、言われたことやアドバイスを「素直に受け取って、いったんやってみる」を意識してみた。そうすると、何というか、全体的に「いい感じ」になって来たのだ。徐々に。
似合う色や形がわかったから、服やメイクに迷わないし、自信をもって身に着けることができる。
お金についても、「これくらいは好きに使っていい」という部分が明確になったので、罪悪感なく楽しめるし、無駄なものを削れるようになった。保険も見直したし、やってみたかった積み立てNISAやふるさと納税も始めた。お金を「増やす」ということをしたことがないので、少しでも利益が出ると嬉しくなる。
特性診断は、自分の強みや心地よいと思う行動がわかったので、仕事で「これは苦手」と思ったことは、無駄な抵抗をせず、ほかの人にお任せすることにした。その代わり、得意なことは積極的に引き受けて貢献する。
眉も、ふさふさしていい感じだ。毎日、描くのも楽しい。

そして、健康診断の結果とも向き合った。再検診などはなかったけれど、BMIが「普通」の上限ぎりぎりのところで推移していた。今までは「ま、普通だからいいじゃない」と見ないようにしていた部分。
痩せて美しく、とかはもう求めていないけれども、(主に健康上の理由で)せめて「標準」になれたらいいな、と思った。
とはいえ、人生折り返しのお年頃。夕食の炭水化物を抜いても、踏み台昇降運動をしても、トランポリンクッションを買って跳んでみても、ビタイチ体重が減らない。
諦めかけていたところ、たまたまSchooで授業を見た16時間断食と、同僚が教えてくれたYouTubeのリンパマッサージをやってみたら、少しずつ体重が落ちてきて、4か月で-6キロ、晴れて“ジャスト”標準体重になった。

人生って不思議だ。そうやって自分と向き合って、何とかかんとか少しでも良くなろうと試行錯誤していたら、会社で昇格した。
少し前まで、「なんであいつやあいつが私より給料もらってんだ」という、今思えば他人との比較を原動力に頑張っていた時は、思うように評価されなかった。それが、他人どうこうよりまずは自分だ、と思って行動したら、急にそんな話になった。これによって、仕事上のストレスはかなり減ったと思う。

そんなこんなで、今の私は割と「足るを知る」と言うか、ラーゴムというか……。
ソファで寝ることもなくなったし、オンライン会議の画面に映る自分も、前ほど嫌じゃない。痩せたら顎がシャープになったし、似合う色と形の眼鏡をしているし、眉は流行りの形だし、リンパマッサージに味をしめて頭皮マッサージもしているから、髪もふんわりしている。
多分、同僚たちはそんな変化に気づいていない。でも、それでいい。私もそうだが、他人のことはそんなに見ていない。それに気づいて、自分が自分をちゃんと見ていればいいんだ、と思い至ることができれば、そしてそれを行動に移すことができれば、「つじつまが合わない」を回避することはできる。

フィンランドに「道を尋ねる者は、道に迷わない」ということわざがある、とラジオCMか何かで聞いた。スウェーデンだったかも。
いずれにしても、困ったら他人に助けを求めればいいんだと、今回のことでよくわかった。
特に、プロに助けを求めるということは、お金という対価を払うので「申し訳ない」という負い目がない。私のような甘え下手な人間には、使いやすくてありがたい手段だ。

ことわざとか先人たちの言葉って、本当のことなんだなあと、今さらながらしみじみ実感している。
もし、冒頭の私と同じような状況の人がいたら、今の私は、「自分のことは自分が一番よくわかっている」をいったん脇にどけて、「どうしたらいいでしょう」と他人に尋ねてみては?と言うと思う。助けを求めることは恥ではないし、弱いからでもない。道に迷わないための、賢いやり方。
ご自愛しながらお互い助け合って行く、なんて、まさに「OVER THE SUN」的な締めで、今回はこれにて。

補足:改めて読んでみたら、スーさんの言葉そのままの意味とは違うことになっている気がするけれども、まあいいですかね、ということで。
(「自分と向き合う」=「自分の欲深い部分や嫌な部分を受け入れる」だった気がしてきた……)


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