落第忍者乱太郎をこれからもずっと愛している。

家を失ったような気分だった。

9月30日、国民的作品『落第忍者乱太郎』が、33年の連載に幕を閉じるというニュースが目に留まった時、具体的な感情より先に、帰る場所が消えたと思った。

いつかこうなることは分かっていた。どんな作品も終わる。今まで好きになったどんな作品だって終わってきた。

終わった作品は、最初は惜しまれ、一時的に絵や言葉がいっぱいアップされるが、時がたつとみんな前を向いて進んでいくしかないと気づくらしく、一斉に作品の界隈が終わる。いろんな場所で、同じように界隈の終わりを体験した。

けれどやっぱり、心のどこかで落乱だけは終わらないと信じていた。

私と落乱の出会いは中学3年生の冬、受験目前だった。今や何からハマったかなんて全然覚えていない。けれどいつの間にか沼の真ん中にいたのだ。

高校に上がってから毎日忍たまの絵を描いた。日本史の室町周辺を入念に勉強した。初めて同人誌を買った。忍具や忍術を覚えた。なんどもなんども劇場版を観た。それは時に友人や家族と、あとは辛かったバイト帰りにも。見るだけで心が楽になった。何度も助けられた。多分冗談抜きで、合計で50回くらいは見ていると思う。友達とたくさん考察しあったり、新しいエピソードが上がるのを心待ちにした。過去のエピソードも見れる範囲ではほとんど見た。落乱が発売されると本屋へ走り、新刊を買った。本当に楽しかった。中でも自分の人生に一番影響を与えたのは忍たまのミュージカル版だと思う。6弾の再演から通い始め、7弾・7弾再演・8弾・9弾・9弾再演・10弾と、あと学園祭は7弾・8弾・9弾の時。わからないけど総額で40万は落としてると思う…。それは置いといて、とにかく愛してた。忍たまのことを考えている時が一番楽しくて、勉強も手につかないくらいだった。忍たまを描きたくて絵を練習し始めた。「厳禁」の看板を見ては微笑んで、ちょっと和風なレストランや先頭の靴箱はいつも「六 は」とか「1 は」とかを選んだ。カーキの服をよく着た。pixivの廻り過ぎで画像欄はいつも3万件越えだった。お昼休みには忍たまの携帯ゲームでガチャをやった。友達に回してもらったりもした。ふと流れていた曲に忍たまを当てはめては泣いた。授業中も、帰りの車の中も、いつだって忍たまのことばかり考えた。明るいあの世界を。仄暗いあの時代を。

いつか朝日小学生新聞をとって、忍たまの連載を追うのが夢だった。友達と一緒に聖地巡礼するのが夢だった。いつか自分で書いた忍たまの同人誌を売ってみたいなんて考えたりもした。忍たまで動画も作ってみたかった。部屋に囲炉裏を入れてみようと思ったこともあった。尼子先生のつどいにも参加してみたかった。これらは、落乱の連載が終わるということを前提にしていない夢だった。いつかやってみたいと思っていたことだった。やれたら楽しいなと思っていたことだった。けれどもう終わる。これらの夢が叶うことはなくなった。

忍たまにハマってしばらくした後、いつか落乱の連載が終わってしまう時のこと……つまり今日のことを考えて怖くなったことがあった。きっと忍たまが好きな人は、みんな一瞬はこの考えを持ったことがあるんだと思う。30年以上も歴史がある作品で、作者の方も高齢で、いつ終わりが来てもおかしくはないと、少なくとも私はそう思っていた。忍たまが終わってしまったら、私はどうすればいいんだろう。

忍たまは、一度作品を好きになるとずっと公式からの供給があるのが魅力的な作品だった。アニメは27年目だし、原作は33年目。ミュージカルは10年目。大きな騒ぎや諍いは起きず、平和な作品だった。(それでも少しは争いはあった。けど他の作品とかみたいに大きな騒ぎになったのは一度も見たことがない。)

私は本当に薄情な人間で、すぐに飽きてしまう性格だ。今までどんな作品でも、熱烈にハマっていられる期間は長くて3ヶ月程度で、その後は惰性でずっと好きみたいなタイプだ。けれど忍たまは違くて、もうず〜〜〜〜〜っと好きなのだ。なぜかというと多分、飽きないからだと思う。いつも新鮮で、ずっと供給があって、二次創作も活発で、作品やキャラクターの重みがあるからいろんな方向から何度でも楽しめるし、前述した通り、私がまだやったことのない事が沢山あったから。

なのに、そんな忍たまが終わってしまったらどうしよう。供給がなくなってしまう。そんなことが起こったら、私は忍たまにすら飽きてしまうかもしれない。当時はそう思って不安だった。

けれど今日、いざ連載終了という文字を見たとき、一番に思ったのは「帰るべき場所がなくなった」という感想だった。

私の心の奥底に、あの門があった。今になるまで気がつかなかったけれど、確かにあるようだった。その中を覗くと、たくさんの思い出が詰まっていた。よく目をこらすと、忍たまたちもうろちょろしているみたいだ。それがゆっくりと閉じようとしている。寂しい。

忍たまには、明確な悪役が存在しない。1年は組や忍術学園から見た時の敵はもちろんいるけれど、極悪非道で全く共感できないような悪役は一切出てこない。どのキャラクターも魅力的で、輝いていて、ちょっとおばかで、室町という時代を懸命に駆け抜けていく。もうどのキャラクターも新しく動いてはくれない。

もう新しい忍たまたちを見ることはできない。いくら願っても叶わなくなってしまった。おばかな1年は組も、あの子たちが起こす愛しい騒動も、乱太郎・きり丸・しんべヱたちを優しく見守る大人や、先輩たち。他の城の人たち。この感情をうまく表現できない。とても複雑で、言葉を当てはめようとしても何もはまらない。少し言葉を紡ぐとすぐに涙がこぼれてしまう。

優しくて、愛しくて、大好きだった。あの世界と自分との繋がりをもう少しで私は、私たちファンは失わなければならない。

辛い。悲しい。切ない。もっとできることはあったのだろうか。終わって欲しくない。この感情を失いたくない。あのキャラクターたちにもっと生きていてほしい。私はあの世界のことを「終わったもの」として捉えたくない。ずっと続いていてほしい。生きている間ずっと存在していてほしい。何よりも大切だった。愛してた。欲望の塊みたいなこの感情は一体どうすれば治るのだろう。誰か教えてください。

考えれば考えるほど好きなところがいっぱい見つかる。お話の完成度、教訓らしくないところ、言葉の端々、ハッとする一言、ギャグ、テンポ、伏線回収の見事さ…だめだ 切ない

いつも私の一番近くにいたのは落乱だった。なのに、今こんなにも遠くに感じている。いつか別れなければならない。もう1年ほど前に忍たまを卒業したつもりだったのに。

ずっと愛している。


寂しい。



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