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仮面とその奥。


いよいよ発売になる2EP「DUMELA」から
リードシングル「灰々」のMV企画の話が始まった
9月某日。

この曲は現代社会におけるさまざまな記号に囚われた人間をイメージして作られた曲であり
歌詞も意図的に記号(単語)の羅列で描かれていたりと、とてもエネルギッシュな内容になっている。

更にこの曲を解釈する上で外せないものがある。
さまざまな記号に出逢い、身に纏い生きる我々でも絶対に共通して持つ記号。



それは、『灰』だ。

結局有機物である我々人間はいずれ灰になる。
そうした共通の記号が実はあるよね、と言うところから話は広がる。
マサとはどっかのスタジオでこの話をした記憶がある。

実はこのMVの最初の構想は今とは全く別物だった。
人間の要素(記号)を6つに分け、そこに色を与え
コンテンポラリーダンスにより要素の変化を表していく、と言うようなものにしようかなと考えていた。
6つの要素がなんだったか、最初の構想案の資料データが消えてしまっていたのでここに載せることが
できず申し訳ないが、
・過去・未来・欲望・理性、、、みたいな感じだったと思う。

しかし自分で作っておきながらどこか引っ掛かるところがあって、この構想はボツにした。
他にもアニメーションによるアプローチなど色々考えたのだが、一番しっくりきたのが最後に浮かんだ
今作だ。

ここでどこか引っ掛かる気持ちが気持ちが晴れることになる。
それは、
ここまで人間が身に纏うステータスや要素、社会的記号がぶつ切りに出てくる歌詞なのに、
その様子を捉えるMVもぶつ切りにしていいものなのか、そもそも人の人生ってそんなに切り刻めるのか?と言う疑問が晴れた瞬間だった。

そうだ、ワンカットで撮ろう。

人はさまざまな記号を人生の中で取っ替え引っ替えしてゆくにも関わらず、絶対に変わらない有機物であるということ。そして灰になると言うこと。
人生はひと繋ぎで生まれてから死ぬまで途切れることはない。
その対称性を描いた方が絶対にいい。
そう思った。



今回もカメラマンは福田さんにお願いしていたので
すぐさま福田さんにMVのプロットを送る。
上記に記したようなイメージと思考をまとめて、
(だいたい長文になるのだが)今回はこれでいきたい!
という熱いメッセージと共に。


『了解しました。』

福田さんの最初の反応はいつもこんな感じ。淡白。
だが実際に撮影日が近くなるにつれて徐々に
カメラマンという視点から作品に対する解釈とアプローチの熱量をあげてくるような人。
最終的には僕より熱心になってる気がする。笑
撮影中の口癖は、食い気味で、

『Yunoさん!!!これも撮っときましょうよっ!!!!』である。


『了解しました。』

と僕がその時淡白に答えるのは言うまでもない。

ちなみに福田さんは絵の方もイケる口らしく、
今作「灰々」のファンアート的なのも書いてくれた。急に書いてた。

うまいなあ。

さて、肝心なキャスティングだか今回も
俳優山田ジャンゴの力をお借りした。

紹介していただいたのは
松浦稀さん。
【インスタ】
https://instagram.com/mare.matsuura?igshid=1xt76k3meet2l


冒頭、異質なマスクをつけて登場するため
そのギャップを図るためにものすごく純粋で無垢そうな、人間が持つ清らかな部分を体現したかのような方を探していた。
まさしくピッタリだった。
彼女のダンスと表現は圧巻だったので、ぜひ本編を見てほしい。


怖い。すごく怖い。このギャップが良い。

ちなみに今作では、美術に力を入れたいと
思っていたので色んなものを用意した。

(写真が手元になかったのでタリラのインスタから引っ張ってきた。)


正直、小道具が可愛すぎた。
この小道具たちにも意味をもちろん与えた。
なんせ、今作はさまざまな記号を用意しなければならなかったから。


車がステータスな人もいるだろう。
女の子のお人形さんを大事に抱えた過去もあったかもしれない。


ちなみに、後ろに立っているマネキン2人は
タリラとマサである事はお分かりだろう。
予算的にエキストラも用意できないので、
人員が必要な時は基本的に2人に出てもらってる。
まあそれ以上に、2人が死ぬほど出たがっているからという方が正しいかもしれない。
隙あらば出ようとするのだ。油断も隙もない。
言うのを忘れていたが、
「針よ墜とせぬ、暮夜の息」にて後半主人公の太ももから現れる手や顔に迫る手なんかもメンバー2人の手を借りている。笑

マスクはタリラが作成し、どんな衣装が良いかも
2人で話し合って買って決めたらしい。
ほんと楽しそうだよね彼ら。

いよいよ始まる撮影。
ちなみに撮影日が確か10/12で、納期が10/14だったはず。
編集日が10/13しかないじゃん。
しかも撮影日は夜通しに及ぶので実質1日もない。
なんともまあカツカツなスケジュール。


このロケーションは牛久自然観察の森という場所で、都心から車で1時間と言う最強のアクセスな為、
よく時代劇の撮影なんかでも使われたりするらしい。
生い茂る木々が僕の頭の中にあるイメージにピッタリだった。


撮影は今回も難航した。
ワンカットであるため一回で成功がでればそこで終わり。
しかし途中で失敗が続けば何度も撮り直し。
音楽に合わせてやらねばならないため、ちょっとのズレで止めるしかない。

ダンスの所作、マネキンが出てくる立ち位置、
照明が点くタイミングなどなど全てに目を凝らし
完璧かどうか探った。
結果、35テイクくらいやったと思うが成功したのは2回だけだったと思う。
それくらい大変だった。

正面にセット1、向かって左手にセット2。
ちなみに僕は人手が足りないので右下の照明係を務めた。


全てを終えた頃には日が上り始めていた。
都内へ戻ってきたのは朝7時頃だったろうか。
そこからすぐさま家に帰り僕は撮った映像を編集した。
13時ごろ、流石に睡魔が限界だったので仮眠。
死んだように寝ていたが気づけば17時。
まずい、早く仕上げなければと言う緊張に駆られ
もはや灰になっちまうのは僕の方なんじゃないかと思いながらやり切った。

仮面とその奥。

時代がどれだけ移り変わろうと僕たちは
生まれてから灰になるまでさまざまな記号に囚われ続ける。
周りからの期待や社会的な体裁、拭えない過去や先の見えない未来。性別、出身、言語、人種。
きっとあげればキリがない。
ある種仮面とも言えるような外面的な要素を僕達は日々纏い、生きている。
そんな中、毎日鏡の前に立つとふと思うことがある。

"今日の自分はどんな仮面をつけているんだろう"

そんな問いの答えすら分からなくなるくらい、
幾重にも重ねた仮面。付け替えた事もきっとある。
何者かにならなければならない事。
誰かから求められる事。

素顔のあなたのままでいい、なんて綺麗事なのかもしれないとも思う。
しかし人間の純粋さとは本来素顔にしか映らないはずとも思う。

僕達人間はそうやっていつしか純粋な素顔に
仮面を被せ、記号に囚われてゆく。


しかしここで気づく。
結局人はいずれ灰になる。
燃えカスで終わる事もあるが、
灰はダイヤモンドになる事もできる。
僕らはきっとそんな灰と同じで、
誰しもが輝く、輝ける素質がある。
不純物があると濁ってしまうものと同じように、
素顔にこそ一際輝く可能性があると思う。

だからこそ素顔で愛せる誰かがいてもいい。
自分すら自分自身を愛せないなんて哀しい。

どんな自分であったって良い。
素顔のまま自分を愛して灰と化すまで輝いてやれ。


「灰々」

https://youtu.be/NcLHAfaI9sM

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