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メンタル弱者の矜持

どうも、長らくお久しぶりです。湯埜です。
今回はちょっと、センシティブな話題なのと重めかもしれない。
なので、心が疲れてる方や心が不調をきたしてる方はあんまり見ないでゆっくり猫ちゃんの動画とかイルカの動画見ててください。
それでも、って方は自己責任にはなってしまいますがお読みいただけたらと。


普段結構ぱっぱらぱ~な感じで過ごしてますが、本当にぱっぱらぱ~なんですよね()
まあ、そんな能天気楽観的人間になった過程でも今回ぼちぼち綴ろうかなって。

きっかけは、どこかの誰かに言われた「湯埜って、うつ病とかならなそう」という言葉でございました。
「よく言われる~」という固定文無感情に返答しましたが、実際はおっとっと。そうでもないと、いう訳でございます。

実際には3か月不眠症になり体力の限界を感じて1ヵ月休んだことがあったり転職をしたりとかっこつけれるような社会人経歴を持ってません
かといって、自分を卑下する訳もないし、誇張するわけでもないです。
なんでそんな経歴に傷をつけれるの?と聞かれましょう。
答えることはただ一つ、「死なないようにするため」という生存戦略の一つだからですね…!\ ドーン!! /

自分、「石の上にも三年」が嫌いな人間でして。まあ、言いたいことはわかりますが「石の上にも三年*個人差あり」なんですわ。
三年もいたら人間としての尊厳失うぐらいの過酷な場所にいたら三年もくそもないってことですね…!
実際に他人から蹴られたり(物理)理不尽に虫けらのように扱われたことがある方はよくわかると思うんですけど、こういった人間として対等に見てこない人と「対等なコミュニケーション」が取れると思ったことあります?ないですよね~
そりゃ、そうですもん。“見てない”ですからね。同じ人間として。
そう、ドクターヒルルクの人が死ぬときは二段階あるように、人間が自ら死ぬ理由にも段階があるんですよ。

死にたいと思う前に死ぬのがもったいないように環境を変える、っていうのが結構大事だったりします。
姉弟3人なんですが、自分は真ん中っこでして上も下も精神疾患あったりラジバンダリです。自分は上と下の病み過程を見てきたので自分も待ったなしとは思ってるんです。でも、死にたいと思う訳にはいかないんですよ。
しんどいって思った時ように母は「逃げ場としての実家」を母子家庭ながら作りました。そう、エスケープ先をまず確保するんです。

といっても、本当にしんどい時ってなにも見えなくなるんですよね。
“外”を見るための体力を残さないと灯台下暗しになります。
外というは、「心療内科」だったり「内科」だったり、「親」だったり「友達」と自分のいる場所とは違う社会で生きている人間と関係性を構築することです。
どうしても、しんどい時って孤軍奮闘なんですよね。まーじで、独りって考えちゃう。お金ないとか、余裕ない、とか色々蓄積されて考える能力が大分劣ってますからね。

あとは徹底的に休んで、自己固定感を高める行為を繰り返す。
人間は結局群れて生きてきた生物です。他者と協力関係になり「助かった」という声があるだけで「生きてきてよかった」と思えることがあります。
これが自己固定感を高める手段の一つになったりします。
私は一か月の休みで何回か「ボランティア」に参加しました。NGO活動でもなんでも。とにかく社会的に活動されてる方と一緒に動くことがいいです。無償が特にいいです。あえて、無償で動くのがいいんです。

不眠症でどうしても寝れなかった自分はロキソニンを飲んでた日常から脱しようと、オンラインで精神科を受診しPDFで診断書をもらい、そのデータまるまる職場の偉い人に送り付けてとにかく休むとメールしたんです。
その直後、翌日とある文化的なイベントのボランティアが募集されてたんで私はそれに参加しました(笑)
そのボランティアでかなり活躍できて夜帰ったあとまるで嘘だったみたいに寝れました(笑)

とまあ、そんなこんなで自分自身が「病むのは当たり前な家系」と認識して「予防策」を何個か用意したところで、病むときは病むから「まじで死ぬかも」って思ったら思いっきり「休んで」「遊ぶ」ことが大事ってことがいいたいっすね。
別に誰かに無理して相談しなくていいんですよ、そういった苦しみは結局自分でしかわからない痛みなんで。
ただ、その苦しみとか自分で背負いきる必要はないんで背負わずに捨てれるように準備を前もってやっておけば結構ぱっぱらぱ~で生きていけるもんだと私は思いますよ。

というわけで、今回は「湯埜さんって、うつ病ならなさそう~」じゃなくて「ならないように予防策と対策とってるから当たり前体操~~」ってことでした。

なんでこんなこと、書いたかというと
祖父母が一年ごとに召されていき、上も下の姉弟に、母も壊れかけてたのをなんとか「みんな、死なないように」と奮闘した末にようやく単身京都で暮らせるようになったからでした。
死の舞踏のように現れては消えていく蜃気楼のような感情を制御するのは難しいけど、基本パッションと変な深夜テンションで回避できたのはまじで自分頑張ったと思うわ。
まわりにうつになっちゃってやばそうな人いたらもうパッションでかまいましょう。余裕ない人に余裕あるように見せても関係ないんで、まじで冷静にオーバーリアクションでいきましょう。
まじパッション大事。(最後の最後で唐突にダサい終わりで草)


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