走り書き

サイコロを握りしめている。
いつも何度も、泣きたいような気持ちで正六面体を振る。赤の目が出たら好き、白の目が出たら嫌い。赤白は平等に3つずつ。私は「言葉」が好き、嫌い、希望、絶望。私は「人間」が好き、嫌い、希望、絶望。

自分の正体が知りたくて、事あるごとに、美味しいほうじ茶とか、白い皿に乗ったフルーツナイフとか、首輪をした大型犬とか、郵便ポストから零れ落ちそうな茶封筒とか、何かに出会うたびにとにかく1日何度も。
生きていたい、安心したい、理解されたい、こんなに苦しいなら別にいらない。アタリの赤の目とハズレの白の目。私はやっぱり、この世界が好きなのか。私はやっぱり、宇宙の滅亡を願っているのか。言葉は希望なのか。人間は絶望なのか。カランコロンと音をさせながら、サイコロを振る。

そんなもの、まだ持ってるの?と、声が聞こえる。

大切なのは6分の3の可能性ではなくて、アングルによって結果の変わる出目なんかに頼ることじゃなくて、
そんな紅白はっきりしたことじゃなく、生きるとは、グラデーションなんだよ。波なんだよ。その好きも、嫌いも、希望も絶望も祈念も諦念も、全部君の中に存在しているんだよ。大切なのはそれを積み重ねて生きていくことだよ。

或いは、生活に目を向けること。朝ごはんを食べて、散歩に行って、ヨガやストレッチをして、夜には親しげな布団に入って目をつむり、無意識の日々を丁寧に行うこと。
或いは、人と話すこと。好きに生きること。流れに身を任せること。いっそ思い切り沈んでしまうこと。特別な人を特別扱いすること。自分本意に生きること。四の五の言わず人生を回していくこと。受け入れること。



知っている。

知っていましたよ。知らないと思いましたか。貴方に同意しないとでも? 私がこのサイコロを清く正しく愛おしく思っているとでも?
でも、それでも。
使い古して、辺のくたびれたようなサイコロを、今日も振り続ける。好き、嫌い、希望、絶望、

ひとりで泣いたり、ルンルンスキップしながら、ずっと歩き続けていたら、いつか疲れてしまうことなんて、ちゃんと知っていた。

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