てか思いやりとワードセンスあるなら下ネタでも問題ない

その真理は未だによくわからないのだけど、純粋だね、とか、ピュアだね、とか言われがちな人生だった。付随して、昔から「君は純粋だから聞かなくていい話だよ」と蚊帳の外にされることが多い。
そんなことを言うのは大抵優しくて気のいい人たちで、そういう会話の内容は大抵マジで聞かなくていい話(小学生の悪口とか思春期の下ネタとか)だからその排斥に何の問題もないと気づけたのは、高校にあがってからだと思う。
それまでは、私たちは穢れてるからさー、と、何故か得意気に笑う顔に、もやっとしたりイラッとしたりしゅんとしたりしていた。仲間にいれてもらえないのはシンプルに寂しいし、何だよ、お前はこの世界の汚れの何を知ってるんだ。
でも今は、居心地の悪い下ネタに巻き込まれなくて助かるぜご配慮サンキューくらいの認識です。



森絵都さんが好き。BUMP OF CHICKENが好き。
ふたつは本当に神様なので、世間の声や客観的評価を可能な限り無視してきたのだけど、最近、もしかして彼女らは"綺麗系"なのかな、と思う。言葉が綺麗すぎて合わない、という人も多いのかもしれない。確かに、小1の頃から小説=森絵都だった私は桜庭一樹の短編が苦しかったし、村上春樹は途中でリタイアしたまま未だに近づいていない。

でもさ、でもさ、森さんだって頭おかしいよ、中学生向けの小説で、「この世界はあまりにどうしようもなくて、結局ぜんぶ自分で何とかするしかなくて、死んでも寂しくて、でも何だかんだ生きていかなきゃいけない、それは別に希望ではない」って言うんだよ。まるで綺麗じゃない、生々しくて、底抜けに残酷で、嫌らしくて怖い真実の言葉だ。私の骨の髄にはこの孤独が叩き込まれている。だから好きな人を殺せば永遠になるなんて思わないし、死にたいときに手首を切ったりしない。そういう世界観のメンヘラガールは可愛いから好き(私が男子だったら近づかないけど)。

過激表現が苦手だ。気まずいし気持ち悪いし怖くて泣いてしまうから。ピュアと言われるなら取り立てて反発しない。面白くない下ネタも芸術的なR指定も出来るだけ避けて生きていきたい。
そんな自分を、高慢でお花畑で嫌だなって思う。本質から目を背けているみたいだ。殺人を読めない人間は、きっと文学を知ることもできない。でも、性行為や吐瀉物やスプラッターをやんのやんのと特別視して騒げる感性も、それはそれで、何というか、楽しそうで何よりですと会釈したくなる。夕闇の都会で死にたくなるような、換気扇の油汚れを見てスキップしたくなるような、あの生の手触りを知っているからこそ、私は私の軽薄な語彙でどんなに汚ならしい真実にもその美しさにも寄り添えるつもりなんです。自信過剰で、ごめんあそばせ。

手段と目的をごちゃごちゃ煮詰めた先にしか、新たな表現方法の獲得はないのだろうか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?