津南斎場と津南町旧火葬場跡【改訂版】
津南町旧火葬場のあった場所が判明しました。
それをもとに、昨年暮れの記事に加筆し、再構成した改訂版です。
津南町概要
新潟県中魚沼郡津南町は人口8,430人(2023.11.1現在の推計)。2022年2月24日には最深積雪419㎝を記録した豪雪地帯です。
平成の市町村合併の際は、近くの十日町市との合併や中魚沼郡の町村(津南町のほかに川西町、中里村)との統合を選択せず、単独存続の道を選びました。
すぐ南はもう長野県下水内郡栄村です。
地域内には、日本百名山の一つの苗場山、苗場山麓ジオパーク、平家の落人集落と伝わる秋山郷など、自然と歴史の豊かな名勝があり、レタスやトマトなどの高原野菜が美味しいです。
津南斎場概要
国道117号線を十日町市から長野県方面(南方)へ走り、津南病院の看板が見えるとその道を右折し、集落が途切れると墓地が広がっています。
その墓地を抜けると津南斎場があります。
津南町全域と十日町市の一部(旧中里村地域)、県をまたいで長野県栄村をカバーしています。
いつ頃から供用されているのかは・・・・調べておりません。中も見たことはないのですが、こぢんまりとしていながらも近代的な斎場です。
ところで・・・・
津南斎場そばの気になる空き地2ヶ所
津南斎場に向かう道の道路脇に、気になる空き地が2つありました。「昔の火葬場跡では?」と思って、カメラに収めました。
道の右側には、木材が積み上げてある小屋が建ち、長方形の石材で囲った穴がある空き地地。道の左側には萬霊塔の建つ空き地。どちらもアスファルトで整地され、いまの津南斎場に面した場所が石垣で補強してありました。
萬霊塔が建っていることから、道路左側の空き地は昔の火葬場ではないかと推測しました。
津南町旧火葬場跡
家に帰ってから、国土地理院の空中写真(1976年撮影)と国土基本図(1968年作成)を調べてみると、道路左側の萬霊塔が建つ空き地が、昔の火葬場跡であることが判明しました。
国土基本図には「火葬場」と記載があり、1976年撮影の空中写真には煙突のある火葬場が鮮明に写っていました。
旧火葬場の正面だったと思われるあたりまで、アスファルトで舗装されています。
逆光になってちょっと暗いですが、写真の左側に萬霊塔があり、そのさらに左は墓地です。写真に写っていない右側には、草に埋もれて幅50㎝くらいの溝がありました。
萬霊塔はわりと新しそうです。基礎の石組も新しそうですが、台座はかなり苔むしています。萬霊塔にも基礎の石組にも台座にも建立年月日や建立者などは刻まれていませんでした。
この萬霊塔は、昔の火葬場の収骨塔の名残なのかな、と思ったりします。
国土地理院の空中写真から
1976年11月2日撮影の航空写真を見ると、萬霊塔の建っている空き地に、青色の屋根で煙突を備えている旧火葬場の建物が見えます。
ちなみに、四角で囲った場所が現在津南斎場のある場所です。拡大写真に入っていないその奥にはすでに廃棄物処理場が建てられていました。
ただ、旧火葬場の道を挟んで向かい側の、いまは作業小屋らしき建物が建っている空き地には、当時も空き地しか写っていません。これより前、これより後の空中写真でも同様でした。
空中写真をもとに、この時に撮影した写真に旧火葬場の建物を想像して復元してみました。
現在の津南斎場と津南町旧火葬場、道路右側の気になる空き地の位置関係は、次の写真のようになります。
気になる道路右側の空き地
国土基本図や空中写真を調べても、道路右側の空き地の由来は分かりませんでした。
こちらの空き地も、旧火葬場跡と同様にアスファルトで整地されていました、資材小屋のようなものが建てられており、中には木材が積まれていました。
写真の真ん中あたりに長辺1.5m・短辺1mくらいの長方形の穴があり、枯葉やしなびた野菜(キャベツや白菜)が捨てられています。
大きさや形状から、なにか気になる穴です。
空き地の一部(現在の津南斎場側)は低い石垣で補強されていました。
道路右側の空き地は、旧火葬場以前の火葬場の跡?
この道路右側の空き地は何の跡なのでしょう?敷地がアスファルトで整地されていることと、敷地の中央あたりに長方形の穴があることを考えると、こちらも葬祭施設かもしれない・・・・と推測したりします。
敷地中央あたりの長方形の穴は、座棺炉の跡のようにも思われます。でも、いくら使われなくなってから年月が経つとはいえ、座棺炉の跡を落ち葉捨て場や野菜捨て場にしたりするでしょうか?
もしこの気になる空き地が旧火葬場が出来る以前の旧々火葬場の跡としたら、先々代の火葬場→先代の火葬場→現在の斎場と三代の火葬場(葬祭施設)が至近距離に並ぶ貴重な遺構と言えるかも知れません。
<2023年12月17日 訪問>
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