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生い立ちが私の人生に影響したこと

こんにちは。

前回ちょっとボリューミーな内容でしたので、一旦箸休めしようと思います。

あなたは、本来の自分を押し殺して良い人を創り上げていると感じることはありますか?
また、それはどんな時ですか?

私は幼い頃から、つい数年前の正社員インストラクターを辞するまでの間、自分を良い子に創り上げる場面が多くありました。

今回のブログには、言及すればするほどディープになる内容が多いので、あまり重くならないよう軽い気持ちで執筆したいと思います。

生い立ち

突然ですが、
私は常に親の顔色を伺い、機嫌を損ねないように良い結果を出す努力をしていました。

これが、今までの人生において「できる限り良い子で在ろうとするきっかけ」だと思っています。

しかし、良い子ぶっていた理由の全てを親のせいにしたいわけではありません。

元々、完璧主義頑張り屋の性質を持ってこの世に生まれてきた自負があり、
「勉強も運動も全部頑張りたくて、やってみた。そして結果が良かった時に親が喜んで、悪かった時は貶された」ことが多かったのです。

自分で言うのもどうかと思いますが、私はひねくれ者ではないので、単純にその流れがパターン化されて、小学生の頃から親に貶されたり批判されないように行動してきました。

まとめると、
私の生まれ持った性質と育った環境のコラボ=良い子ちゃんでいよう
となったわけです。

学生時代〜正社員の環境

小学生から中学生

頑張り屋で生まれた私は、小学生の頃からさまざまな習い事に取り組み、1週間のスケジュールを埋めていました。

月曜日:唯一のオフ
火曜日:公文式
水曜日:英会話・歯列矯正
木曜日:クラブチーム
金曜日:英会話・公文式
土曜日:クラブチーム
日曜日:クラブチーム

クラブチームで何をしていたかを明記すると身バレしそうなので競技名は伏せますが、関東大会に出場したり、海外へ行ったり、とにかくお金がかかった上に多忙でした。

私の親は、ひたすら指導者やチームの体制に対する批判をするアンチだったので、永遠に文句を言われたり練習日数を制限されたりしましたが、
(これも親の顔色を見る要素の一つだったため、とにかくいつも結果を出して黙らせたかった)

私が「もう辞める」というまでの10年間、競技を続けさせてくれました。
その事実に対しては感謝しています。



ところで、上の立場の人に気に入られるとより多くの恩恵を受けられるというのは、スポーツに限らずいろんな場面で共通していますよね。
(賛否両論ありますが・・・)

もちろん、このクラブチームでも、指導者のスペオキ(スペシャルお気に入り)が存在し、そのスペオキになれると良い衣装を着ることができ、なおかつセンターで踊れる機会が増えるという最高な恩恵を受けられたのです。

私はスペオキになるために完璧主義、頑張り屋、さらには負けず嫌いの三拍子を発揮して、「頑張り屋で気が利く良い子」でいることに必死こいていました

必死だった割にはかなりの遅咲きだったので、中学2・3年生の頃にスペオキのピークを迎え、自分が一番華やかに活躍している時にチームを辞めました。

指導者も自分が育て上げた良い子がいなくなる時は、さぞ悔しかったでしょう・・・

高校生

頑張り屋で生きていた私は、中学時代から塾には一切通わず、内申点と面接で公立高校に合格しました。

そして、入学後は新しいことを頑張りたくなり、全くやったことがない競技の部活動に入部します。

前章の内容を踏まえて、入部後の私を想像してみてください。



未経験とか関係なく当たり前にレギュラーになりたい
地区大会でも優秀選手に選ばれないと気が済まない
チームのポイントゲッターは私だ!

このような強気で部活動に励みます。

対戦相手に点を決められることよりも、自分以外の味方が点を決めることに悔しさを感じていた時期もありました。

キ○○イだと思いましたか?
もはや何でも良いですけどね。


そして、これらの実現と、またもやコーチ・先輩からの信頼を得るために
良い子でいようとしたのです。

影では同期に、「アイツ媚び売ってる」と言われていた記憶がありますが、そんなことは全く気にしませんでした。
勝手に言ってろと思って。


なんやかんや高校時代も良い子として色々と頑張ったことで
結果を出して、親を喜ばせ、
自分で勝ち取ったり、恩恵を受けようと試みたり、実際に恩恵を受けられたりしました。


ちなみに余談ですが、私は高校3年に進級する直前で父親を亡くしています。
そこから大学受験が完了するまでは、頑張り屋に最大の拍車がかかりました。

大切な時期に肉親を亡くし落ち込むのではなく、
大学へ提出する最後の評定はオール5、自己推薦で第一志望に一発合格
と、あり得ないパワーがみなぎっていました。

流石に、キチ○イだと思いましたか?
私は、当時の自分をキ○ガ○だったと思います。

というか、自分が閉店しそうだったので、キ○○イであることは自己を保つために必要でした。

今となっては「あの頃に比べたら全部大丈夫。」と、人生の糧になっています。

正社員

他の記事を読んでくださった方はご存知かと思いますが、私は某大手ホットヨガスタジオの社員でした。

そして、約5年間インストラクターをしたことで、「恩恵のために良い人を創り上げる自分」と決別できたのです。

  • ヨガというツール

  • インストラクターという職種

この二つの要素は、これまで以上に良い子であることを推してきました。

というのも、
会社の方針によりレッスンごとにお客様一人ひとりから評価を受けるのを避けられず匿名でアンチコメントが送られてきたり、お客様からの評価が昇給・昇格に関わったりしたからです。

他にも色々理由はありますが・・・


就職後も学生気分が抜けなかった割に、お客様から良い評価を得るためには必死に頑張っていました。

新卒入社してすぐにエリア内でお客様満足度1位を獲得したり、
私のファンだと公言してくれるお客様がたくさんいたり、
高価なプレゼントをいただいたりと、良い子であることによる結果はちゃんとついてきました。

そして、平社員から店長になって、もっともっと良い人で在ろうとする自分になりたのです。
(キャリアの途中経過について今回は割愛します)

しかし、今までで一番心がすり減るのを感じて、強烈な頭痛と胃痛に悩まされたり、うなされて十分に眠れなくなったりしました。

体調が悪すぎたのでもうこの仕事は潮時かなと思い、ここでやっと自分に向き合います。


周りから良い人だと思われるために自分を偽るのか?
良い評価や恩恵を受けるために、その場をうまくやり過ごすために無理やり自分を創り上げるのか?
本当の自分はどれだ?自分はどう在りたいのか?どんな自分でいることがベストなのか?

こうして考えを巡らせて、「良い人であろうとしてしまう環境」から脱したこと(退職)により、他人からの評価を捨てることができたのです。

じゃあ、良い子を演じることは悪なのか?

個人的には、良い子でいることによって本人が心地よさを感じているならば、それで良いと思います。

しかし、幼い頃からの思考や行動の癖でそれが当たり前になり、無意識に自分を押し殺して良い子を創り上げてしまっているのならば、一旦その原因に向き合ってみるのはいかがでしょうか、あくまでも提案だけど・・・といったところです。

私の体験談から言うと、良い子であろうとしてしまう環境から脱したり、人間関係の見直しをしたりすることで、見える世界どころか、存在する世界が変わります。

退職後すぐに結婚・出産したので、親と関わり方が今までとは変わったことも「脱・良い子」の大きな理由です。

良い子やめた後は?

今回は、良い子であったことで色々成し遂げられたり、スペオキになれたりと私のエピソードをつらつらと書きましたが、私の人生にとって必要なのは、自分で心身の健康を保てるマインドをみつけることです。

実のところいうと、良い子を脱した今もこれはずっと模索中で、今後も追求していくと思います。


さて、最初に箸休めとか言いつつ、3,000文字を超える文量になってしまいました。

私は今後も自分の心を見つめて生きていく所存ですので、また今回のようなブログを書きたいと思います。

もし良ければまた読んでください。


ちなみスペオキという言葉は、オタク用語です

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