①日本文化のあけぼの1-1
1.文化の始まり
日本列島と日本人
地球上に人類が誕生したのは、今から約400万年前、地質学でいう第3紀の終わり頃で、第4期を通じて発展した。第4期は、約1万年あまり前を境に更新世と完新世とに区分される。更新世は氷河時代とも呼ばれ、寒冷な氷期が約10回もあり、海面は現在に比べると100m以上も下降した。このため氷期には日本列島は北と南でアジア大陸と陸続きとなり、北からはマンモスやヘラジカ、南からはナウマン象やオオツノジカなどがやってきた❶。
こうした大型獣を追って、人類も何波かに渡り日本列島に渡来してきたらしい。ところが最後の氷期が過ぎて完新世になると海面が上昇し、およそ1万年あまり前には大陸から切り離され、ほぼ現在と同じ日本列島が成立したらしい。
人類は化石人類の研究により、猿人・原人・旧人・新人の順に進化したことが知られる。現在までに日本列島で発見された更新世の化石人骨は、静岡県三ヶ日人・同浜北人・沖縄県港川人などいずれも新人段階のものである❷。
これらの人骨の特徴は、横幅の広い顔を持ち、身長も低く、中国南部(広西省柳江県)で発見された柳江人などに近いもので、のちの縄文人にも受け継がれている。日本人の原型はこうしたアジア大陸南部の古モンゴロイド❸にあり、その後、弥生時代以降に渡来した新モンゴロイドとの混血を繰り返して、現在の日本人が形成された❹。
また日本人でも北海道に住むアイヌの人々や南西諸島の人々は、より強く古モンゴロイドの形質を受け継いでいると考えられている。
旧石器時代の文化
人類がまだ金属器を知らない石器時代❺は、主として更新世にあたり、打ち砕いただけの打製石器のみを用いた旧石器時代と、完新世になり、石器を磨いて仕上げた磨製石器が出現する新石器時代とに分けられる。
かつて日本列島には旧石器時代の遺跡は存在しないと考えられていたが、1949(昭和24)年の群馬県岩宿遺跡の調査により更新世に堆積した関東ローム層から打製石器が確認され、以後、各地で更新世の地層から石器の発見が相次ぎ、旧石器時代の文化の存在が明らかになった。それらの地層からは土器が出土しないので、この文化は先土器文化などと呼ばれたが、アジア大陸の旧石器文化に相当する文化であることは明らかで、今日では旧石器時代と呼ばれている❻。
この時代の人々は、狩猟お植物性食料の採取の生活を送っていた。狩猟には、ナイフ形石器や尖頭器などの石器を棒の先端につけたつき槍・投げ槍を用い、ナウマン像・オオツノジカ・ヘラジカ・ヤギュウなどの大型獣をもとらえた。人々は獲物や植物性の食料を求めて、たえず小河川の流域など一定の範囲内を移動していた。このため住まいも簡単なテント式の小屋で、一時的に洞窟を利用することもあった。
生活を共にする集団の大きさは10人前後の小規模なものであったらしく、こうした小集団がいくつか集まり、遠隔地から石器の原材料を入手し分配する、より大きな部族的な集団も形成されていたと思われる。
また旧石器時代の終わり頃には、細石器と呼ばれる小型の石器❼が出現している。この細石器文化は、中国東北部からシベリアにかけて著しく発達したもので、北回りで日本列島に及んだものである。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?