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夜の匂い

お母さんが 帰ってこない、と 気がついたのは 外が 暗くなり始めた時だった。
テレビに 夢中になっていた。
お腹も 空いてきた。
宿題、やらなきゃ。

照明を点ける。テレビを消すと しぃんと する。
家の前の道を トラックでも 通るのか、大きな音に 少し 驚いてしまう。
おせんべいをかじりながら、宿題をする。
冷蔵庫を開けて、麦茶を注いで飲む。
冷たい。

どうしよう。お母さん。
電話をかけてみる。
お母さんの スマホは留守電になってしまった。

もう、8時。
冷蔵庫に 昨日の 残り物を みつけたから、温めて 食べる。
お腹は 空いてるのに、おいしくない。
食器を シンクに運んで、蛇口をひねる。
水の音が、思いの外 大きく 感じる。心細くなって、また テレビをつけた。
笑い声が そらぞらしく 響く。
音量を少し下げて、窓を開ける。
お母さんが 見えないか、下を 覗きこんだ。右も 左も お母さんらしき人は いない。
どこからか、玉ねぎを 炒める においがする。
きっと ハンバーグ。
外に 探しに行こうかと 靴を 履いてみたけど、その間に 帰ってくるかもしれないと 思って やめた。

物心ついた時には 毎晩 眠りにつく前に 薬を 飲んでいた。今は 錠剤に なったけど、苦味を 隠した 嘘臭い甘味のシロップが 本当に 嫌だった。
「お薬を 飲めば、怖い夢を 見ないで 眠れるから。」
お母さんは 毎晩、私に 言う。

私は どこに その薬が あるのか、しらない。
いつも お母さんが 用意する。

家に お母さんが いなくて、お風呂に 入るのは 怖かったから、パジャマに 着替えて 布団を 敷いた。
お薬を 探してみたけど、どこにも それらしい物がない。
飲まなかったら、どうなるのだろう。
お母さん。

布団に 潜り込んで 待っている。
お母さん。

スマホのアラームを 止める。
騒々しい音にしたのは いつまでも 起きられないからだ。
変な夢を見た。
心細さが 残ってしまっている。
あの女の子は 誰だろう。

ずっと 心の隅っこに 引っ掛けたまま 1日が 終わろうとしている。
会社からの 帰り道、あの 「夜が 始まる匂い」がする。
仕事に 集中できなかった。
私も あの女の子と 同じ薬を
ずっと 飲んでいる。

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