エンパイヤステートビル

最も美しい自殺

 このパワフルな写真はロバート・C・ワイルズによって撮影され1947年5月12日付のライフ誌の記事のフルページ写真として使われた。その見出しは「エンパイヤステートビルの最下層のグロテスクな棺の中でエヴリン・マクへイルの死体が安らかに横たわる。彼女の身体は車の屋根に激突した」というものだった。

 エヴリン・マクへイルは恐らくエンパイヤステートビルから飛び降りた最も有名な自殺者だ。若く美しいエヴリンは1947年86階の展望台から飛び降り、通りに止まっていた国連のリムジンの屋根に着地した。その安らかで優雅な外見、足首のところで組まれた脚、彼女の頭部と両腕を縁取る、車の金属でできたシーツのようなひだ。恐らくこれらがマクヘイルの死に「最も美しい自殺」というタイトルが与えられた理由であろう。彼女は死に際し、真珠のネックレスと手袋を身に着けていた。

 マクヘイルは1923年9月20日、7人兄弟のうちの一人として生まれた。ワシントン・D・Cに住んでいた幼少期に母親が家事を放棄し、両親が離婚。連邦準備銀行の銀行検査官だった父は子供たち全員を引き取った。高校卒業後、マクへイルはミズーリ州ジェファーソン市の陸軍婦人部隊員となった。後ニューヨーク市で司書として生計を立て、ロングアイランドのボールドウィンで弟、義理の姉妹とともに静かに暮らした。空軍を除隊したばかりのペンシルベニアの大学生、バリー・ローズと交際し婚約、彼女はローズの弟の結婚式で花嫁の介添人を務めた。

 1947年4月30日、エヴリンはニューヨークから列車で東部へ向かい、バリーを訪ね彼の24歳の誕生日を祝った。二人は仲睦まじい様子であった。翌日、バリーは7時発ペン駅行きの列車に乗るフィアンセに別れのキスをした。「別れたとき、彼女は至って結婚間近の若い女性らしく幸福そうに見えました。」二人の結婚式は翌5月ニューヨークのトロイ、バリーの兄弟の家で行われる予定だった。

 午前10時40分頃、巡査のジョン・モリッシーはマンハッタンの34丁目と五番街の交差点で交通整理をしていたとき、ビルの上から白いスカーフがひらひらと落ちてくるのに気づいた。間もなく衝撃音がして34丁目の通りに人だかりがしているのが見えた。エヴリンがビルから飛び、セットバック(建物の壁面の階段状の構造)を飛び越え、5番街から約200フィート(約61メートル)西寄り、34丁目に駐車されていた国連のキャデラックリムジンに激突したのだった。

 通りを渡っていた写真学校の学生、ロバート・C・ワイルズはマクへイルの身体が金属にぶつかる衝撃音を聞きつけ、彼もまた現場へと駆けつけた。そしてたまたま持っていたカメラで潰れた車の屋根に横たわる彼女の写真を収めた。写真は彼女の死からわずか4分後に撮られたもので、1050フィート(約320メートル)から落下したにも関わらず、死体には傷一つなく、拍子抜けするほど落ち着いた様子で、あたかも眠っているかのようであった。しかし、彼女を縁取るしわくちゃのシーツのようになった金属板と割れたウィンドウのガラスは、彼女の飛び降りによる凄まじい破壊を物語っていた。このくっきりとした対照がワイルズの写真を人々の注目を集め、忘れがたいものにしている。70年後においてなお長く記憶に残り、また人々の心を打つ報道写真のひとつである。

 報道によると、死体を移動させようとすると、その身体は文字通り「バラバラに崩れた」という。彼女の内部は液状化していた。その後、フランク・マリー刑事は展望台の塀の上にきちんと畳んで掛けられた彼女の黄褐色(またはグレー、異なる報道がある)生地のコート、家族の写真でいっぱいの茶色の化粧品箱、そして黒い手帳を見つけた。手帳にはこう書いてあった。

「家族、家族外の誰にも私のどんな部分も見られたくありません。私の死体を火葬にしていただけませんか?皆さんと私の家族にお願いがあります。私の葬式をしたり、形見を取っておいたりしないで。婚約者が5月に結婚しようと言いました。私は自分が誰かの良い妻になれるとは思いません。あの人は私がいないほうがずっと幸せなのです。父に伝えてください。私は母の気質をあまりに多く受け継いでいます。」

 エヴリンの死体は妹のヘレン・ブレナーによって特定され、彼女の遺言通り火葬された。墓標はない。

<興味深い事実>
 エンパイヤステートビルが1931年に建てられて以来、約36名の人々がこのビルから飛び降りた。うち17名は86階の展望台から飛び降りた。エヴリンはその12番目の自殺であり、全てのセットバックを飛び越えた6番目にあたる。彼女は3週間のうちに展望台から自殺を試みた5名のうちの1人でもある。このことが引金となり、高さ10フィート(約3メートル)の金網のフェンスが設けられ、警備員たちは飛び降りの兆候を見せる者を見つけ出すよう訓練された。フェンスができた後、飛び降りは別の場所から行われるようになった。たいていはオフィスの窓からである。
エンパイヤステートビル86階展望台外観写真
同展望台写真(現在)

This article translated from Rare Historical Photos – The Most Beautiful Suicide
本記事はサイトRare Historical Photos より翻訳及び写真転載の許可を取ったものです。

補足:
⊕ ローズの弟の結婚式後、マクへイルは式で着ていたドレスを引き裂き、「二度と見たくない」と言って燃やしてしまった。
⊕ マクへイルが飛び降りた場所からわずか10フィート離れた場所に警備員が立っていた。
⊕ ライフでの報道後、エヴリン・マクへイルの写真は一躍時のポップアイコンとなり、アンディ・ウォーホールやデビッド・ボウイにより自身の作品に引用された。
⊕ マクへイルの死後、婚約者のローズは独身を通した。

参考:
Wikipedia - Evelyn McHale
ブログ Keith York City - Evelyn McHale: A Beautiful Death on 33nd Street
WEIRED HISTORY – This Tragic Photograph Captured What Many Have Deemed The Most Beautiful Suicide


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?