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極端な考えの人

よくある(?)インターネットトラブルについてのゆるふわエモーショナルnoteです。大前提、フィクションです。

関係のない事柄を関連付ける人

Aさんにとって非常に不快な人間関係のトラブルが起きた。前後していくつかの出来事があった。それらは全く関係のない個別の出来事であるが、あたかも全て関連し一つの大きな問題であるかのように批判を展開する。それらを繋げる客観的な証拠などは無いが、Aさんがそう感じたからそうなのだ、というのである。

溢れる行動力・生じる矛盾

そういう人はなぜか謎の行動力があり、告発記事を書いたりDM等で知り合いに情報をばら撒く。またインフルエンサーやマスコミに情報提供し拡散を試みる。そこには事実とは異なる内容や矛盾があったり、証拠とされるものも主観で歪められているため証拠として機能しない。そのため周囲から”おかし”いという声が上がる。だがその人の中で既に事実となっているため、聞き入れることができない。おかしいと声を上げた人たちから距離を置かれる。しかしそんな事ではへこたれへん。「私の方から離れた」と言うことで自分の尊厳を保ち、信じてくれた人を傍におく。

焚きつけるモブたち

モブが登場。Aさんのトラブルの相手のことが嫌いだとか、どこかの部分で利害が一致しているため、「あれもこれもあいつのせいですぜ。だんな、やっちゃってくださいよ」等とあることないこと、ないことないこと、モブの主観により歪められた情報をAさんに耳打ちし焚きつける。そのことが原因で新たなトラブルが起こっても、自分の立場が危うくなるとどこかに消えていってしまうとても儚い存在。そしてモブはいなくなった。

そして、どうしたいんだい?

Aさんが求めるもの。それは、周囲の人がAさんの言い分を全面的に受け入れること、またトラブル相手はAさんに手をついて詫び許しを請い追いすがり謝罪し反省し続けトラブルの要因をAさんが納得のいく方法で処理することで、それ以外は受け入れない。そういう極端な考えの中で生きている。何とかトラブルを穏便に済ませられないか助言をするような人はもはや敵。周りの人からすればAさんの言い分を全面的に信じるだけの根拠が無いし、相手の言い分も知りたい。だけどそういう当たり前は通用しない。

人生思い通りになることばかりではない

何がAさんをそうさせるのか。見てきた中では、物語の中心に自分がいないことへの不満・自分の思い通りにならなかったことへの反発・好意が反転したもの、その辺りではないかと考える。はっきりとしたところは当人ではないので分からないし、もしかしたら当人も分からないのかもしれない。Aさんのような人は過去にも同様のトラブルを繰り返していて、今回も同じようなことが起こった、それだけのことともいえる。人が絡むと自分の思い通りにならないこともある。好きな相手が自分を好きとは限らないし、自分を好いてくれても好きの種類が違うこともある。全部当たり前なのだけれど、極端な考えの人は大好き!から大嫌い!になったり、味方!から敵!に変わったりする。発端のトラブルの時点で間に第三者を挟んででもきちんと相手と向き合うことができれば…、もし向き合わないにしてもスパッと関係を切って立ち去るなどの方法が取れていたら…とも思うが、軟着陸という言葉は辞書に無いので無理。遠くからうんこを投げ続けることを選択したAさんは、ウォッチャーにエンタメを提供し続けることになる。このトラブルを真人間モードで見るとトラブル相手のこと思い心が痛むが、ウォッチャーモードで見ると面白いのでもっとやれ(笑)

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