自己を紹介するのも考えもの

前回ノリで投稿した文に反応ついてて驚いた夕靄です。
Twitterに側頭葉を支配された人間としては、初投稿なんて反応つかなくて当然だろうと考えていたのでnoteの集客力を思い知った出来事でした。
ただInstagramとかだと売名厨共が規制かかるまでハート押しまくるという半ば偏見的な実態も観測しています。お前はソーシャルネットワーキングサービスと太鼓の達人間違えてるんかと。なので誰かに閲覧されたからと歓喜に咽び泣くのは程々にしといた方がいいのでしょうね。
結論:売名していいのは愉悦を提供出来る生物のみ。


さて

書くことがない

本当は自己紹介を行おうとしていたんです。
しかし、ふと思ったのが
「自己紹介することでかえって自分は精神的絞殺に陥るのではないか」。
例えば
「三十路サラリーマンが世界について語る」
のと
「現役JKが世界について語る」
のと
「精肉手前の家畜が世界について語る」
のとでは90度くらいは印象が変わると思うんですよ。先入観って不思議ですね。
当然この現象は男性・女性・その他の枠組みにも存在するわけで。所謂「ネカマ」が軽蔑されるのはそういう原理だと思ってます。匿名で隠せるのは文字通り本名だけなんですね。
何が言いたいかというと、本名年齢性別趣味嗜好性癖等々を予めステータスとして認識されてしまうよりも全てを秘匿した方が活動しやすいのではないかと。まあ、とある職業を明かさないとその分野の愚痴は話せない、などの制限は発生するんですがね。
という訳でこのnoteという世界では某名探偵に登場する犯人にオマージュし、現実に関する一切の個人情報を閉ざそうと思います。鎖国中の国のノンフィクション小説が漏洩したくらいの感覚で読まれていれば思惑通りです。
あ、一つだけ明かせる情報があります。生きてます。

そんな感じです。それでは。

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