自我の確立の必要性 第3章第1節

この論文の第3章、第1節です。
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日本は、個人の自由の尊重が無いに等しい国である。この事実は、以下の3つを兼ね備えた人間を生み出しやすい。

・一元的価値しか持たない人間
・他人との対話ができない人間
・創造性の欠如した人間

一元的価値のことは、第二章で描いたとおりである。一元的価値しか持てないので、他の価値は潰される。そうなると想像力というのは邪魔になり、また必要ではなくなる。そして「場」の中の一体感(一体感とは、お互いが同じ気持ちになっていることであり、いわば、自分の分身と話をしているのと同じである)によってしか人と接触する機会のないのでは、他人との会話(意見がぶつかることもある)ができなくなる。

これらは、母性原理に基づく「場」の中で生きていくには、とても有意義である。しかし、現代において、ひとつの「場」だけで生活を続けていくのは難しい。日本人の国際化について色々話題になるが、日本人は外国人という他人との真の対話ができるようにならねば永遠に国際化できない。

そして、一元的価値しかないと、第二章で書いたように、一つの価値が暴走しだしたときに、止められなくなってしまうのである。別の価値というブレーキがなくては、その行き着くところは常に自滅である。

これらのことから、日本は大きな転換を必要としていることがわかると思う。それは日本人の父性的な自我の確立、すなわち自分の主張ができ、自分の主張に対して他人から意見を言われることを受け止められる人間になる必要があるということである。

そのために大事なのは、個人が「場」から取り残されたとしても、しっかりと生きていけるように国などが(政治で)できる範囲で個人が意見をいうことに対する保障をすることが重要になる。そうやって個人の自由が潰されないようにするのである。

今、日本は民主主義国家だから大丈夫だと思う人がいるかもしれない。しかし、これまで書いてきた日本の状態は、明らかに民主主義とは言えない。民主主義は名前だけのものになっている。これも結局は第二章で書いた母性原理と父性原理の混乱によって、民主主義的なものが、タテマエ的な意味になっているためである。本来、民主主義が個人を尊重するための制度になるためには、その制度を作るためには個人個人の意識が重要なのである。


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