兵法三大源流の流れを汲む剣術流派について


兵法三大源流とは

①神道流(鹿島の太刀ー香取神道流) 

②念流(中条流・冨田流) 

③陰流 

が兵法三大源流として挙げられる

①神道流について

 鹿島神宮は武の神として 建御雷神(たけみかづちのかみ) を祀っており、建御雷神は日本神話で天照大神の命により出雲の大国主神の息子を圧倒し、「国譲り」を実現させたとされていたため、飛鳥・奈良時代に関東から集められた防人がこの地で武術の訓練を受けたのち、出立したとされ「鹿島立ち」と語られていた。


鹿島の太刀を真に受け継ぐ「天真正伝香取神道流」

古くから神官達のなかで鹿島の太刀の刀法は伝わっていたが、体系化されたのは「天真正伝香取神道流」からである。

 しかし、なぜ鹿島の太刀と呼ばれる刀法が「香取」という名で伝承されているかというと、15世紀後期にのちの香取神道流の祖である飯篠長威斎家直が主家の千葉氏宗家が滅亡して以降、鹿島神宮と関係が深い香取神宮に千日参籠したことに始まる。(ちなみに香取神宮には経津主神ーフツヌシノカミーが建御雷神とともに出雲に下ったとされているため、鹿島神宮と対の香取神宮に祀られている)
 家直はこのとき六十余歳、鹿島の太刀の伝統を受けており、粉骨砕身の修行の末に経津主神の神示があり兵法神書を授かったとされている。


「天真正伝香取神道流」のホームページがありましたので、紹介させていただきます。
 国内ですと、「千葉県 香取市」、「京都」に道場があるようです。
文化の伝承に関心のある方は、門戸を叩いてみると良いでしょう。
 ちなみに、香取神道流は、
・居合術(表之居合・立合抜刀術・極意之居合)
・太刀術(表之太刀・五行之太刀・七條之太刀)
・棒術
・薙刀術
・両刀
・小太刀
・槍術
・柔術
 などの他、口伝が多数あり、更に武術以外にも法事、伝統行事、神事を学べる。総合的な武術に加え、神事等の文化的な行事も学べる流派となっているそうです。入門の心構え等、ホームページに詳しく書いているので入門に興味のある方はよく読んでみましょう。

http://katori-shintoryu.jp/

道場リンク↓

NHKの明鏡止水にて紹介されていました
動画は無料でみれるようです



「天真正伝香取神道流」から派生した流派


〇「鹿島神流」

祖:松本備前守政信 香取神道流開祖である飯篠の門下であった

特徴:香取神道流の「一の太刀」をさらに工夫している

派生流派:「有馬流」

道場リンク


〇「新当流」

祖:塚原卜伝高幹  
  祖父である卜部呼常の「鹿島の太刀の秘伝」と養父である塚原安幹(飯篠の弟子)から両系統の技を受け継ぎ、更に自ら鹿島神宮に参籠して開眼し、新当流を開く。

派生流派:「鹿島新当流」 「天道流」

鹿島神当流、道場詳細


〇「神道一心流」

祖:櫛渕宜常

〇「鹿島流」、「霞流」

祖:鹿島流は、小神野播磨守  霞流は真壁安芸守久幹
  二人の師が、小神野越前守幹道である

〇「一羽流」、「微塵流」

 祖:一羽流は、諸岡一羽  微塵流は、根岸兎角

〇「示現流」

 祖:東郷重位

②念流について

念流は、「中条流」「冨田流」が現存する大きな流派であるが、それらは念阿弥慈恩という僧の弟子がそれぞれ起こした流派であり、「念流」という流派自体はないので注意。

念阿弥慈恩とは

奥州相馬(福島県南相馬市)の生まれで、相馬左衛門尉忠重の子。弟に赤松三首座がいる。父忠重は新田義貞に仕えて戦功があったといわれるが、義元が5歳の時に殺され、乳母に匿われた義元は武州今宿に隠棲した。

7歳のときに相州藤沢の遊行上人に弟子入りし、念阿弥と名付けられる。念阿弥は父の敵討ちをめざして剣の修行を積み、10歳で上京、鞍馬山での修行中、異怪の人に出会って妙術を授かったという。16歳のとき、鎌倉寿福寺の神僧、栄祐から秘伝を授かった。さらに1368年(南朝:正平23年、北朝:応安元年)5月、筑紫安楽寺での修行において剣の奥義を感得した。このとき18歳。京の鞍馬山で修行したことから、「奥山念流」あるいは「判官流」といい、また、鎌倉で秘伝を授かったことから「鎌倉念流」ともいう。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%B5%E9%98%BF%E5%BC%A5%E6%85%88%E6%81%A9

個人的には念阿弥慈恩が鞍馬山での修行中、異怪の人に出会って妙術を授かったという部分が気になります。鞍馬山といえば源義経もそこで修行していたと聞きましたから、何か修験者などと関係があるのでしょうか。また掘り下げて調べてみたいところです。


念阿弥の弟子が起こした「中条流」

中条兵庫助長秀は、念阿弥に刀槍の術を学び、中条流を創建したとされている。ちなみに、足利義満の師範となったともいわれている。

また、長秀の弟子の冨田長家(越前朝倉家)が、冨田流を称する。
その冨田流からも「一刀流」の祖、伊藤一刀斎が出ている。

道場詳細 





③陰流について

陰流は愛洲移香久忠が創始した。愛洲氏一族は、南伊勢・五所カ浦に城を構え、海上貿易にもかかわっていたとされる。ちなみに、愛洲氏は村上源氏の系譜であるとされ、生国は伊勢である。

久忠は、日向国(現在の宮崎県あたり)の鵜殿岩屋(うどのいわや)に参籠し、蜘蛛を掴もうとしてもあちこちに素早く逃げるのにヒントを得て陰流を創始したとされる。

老人(神)は「うむ。陰の流れ、という。その意味するところは、外見に現れた人の動きや剣の技とは、陰陽の陽という。しかし、目に見えない心の動きこそ陰であり、見えない心で見ることが陰の流れである。以後そなたは、この陰の流れを剣技として生きよ」と答え、ふっと消えた。  
 
 移香斎は考えた。「陰の流れは見えない心で見ること・・・。つまり」。移香斎が掴んだのは、見えない心で相手の意図を読み、相手の動きに応じて動く。そういうことであった。まさに蜘蛛の動きこそが、陰の流れの極意であった。  
  
 剣の構えを用いずに、構えなきをもって「構え」とする。それまで誰もが基本としてきた兵法(剣法)に見る「強い力」と「早い技」に頼らない剣技。移香斎はこの時「陰流」を身に付けたのであった。

https://news.yahoo.co.jp/articles/dd895c5647e0f04640bc740316097399d0490deb

陰流から派生した流派

〇新陰流

 上泉信綱が創始


 新陰流兵法 協会のリンクです

〇上泉流兵法というのも派生としてあるらしいですが、詳細わからないため割愛します

〇疋田陰流(ひきたかげりゅう)

 祖:疋田豊五郎景兼

〇神後流

 祖:神後伊豆守宗治

〇心陰流

 祖:土屋将監

〇柳生心陰流

 祖:柳生宗厳

〇宝蔵院流槍術

 祖:宝蔵院胤栄

道場リンク


〇タイ捨流

 祖:丸目蔵人佐長恵 


〇新神陰一円流


 祖:野中新蔵成常

〇神影流

 祖:奥山休賀斎公重

〇真新陰流



 祖:小笠原玄信斎長治



参照文献

魚住孝至:日本の伝統文化シリーズ6,武道,山川出版社:40-48,2021.


終わりに

紹介しきれていない流派や道場のリンク、各流派の特徴や成り立ちなどまだまだ書き切れていない部分が山ほどあるのですが、今後また更に調べて記事を作っていきその折にまたこの記事も追加編集していきますので、今後ともよろしくお願いします!

また、内容の指摘や修正は随時受け付けますのでコメント欄におねがいします!



 







 



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