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2017年1月1日に産まれた
娘の名前は『凪』

波のように穏やかに心の広い子になりますように

出産して帝王切開後の痛みが
物凄くて起き上がれないし
寝返りも打てない翌日。

凪はNICUにいて保育器に入っていて
沢山のモニターに繋がれていた。

点滴の台を杖代わりに病室から
痛みに耐えながらNICUに母乳を届けに3時間おきに行く。

哺乳力も弱くて自力で飲む事が出来ないから経管栄養で搾乳した母乳をあげる。
哺乳瓶からも少し飲めても
苦しくなってモニターが赤く点滅するたびに不安になる。
お乳からはもちろん一回も吸えなかった。

1人病室で3時間おきに痛みに耐えながら搾乳をする。

出産して3日ぐらいがたった時
先生からあまりにも凪の活動力
赤ちゃんは足をバタバタさせたり
泣いたりするのが自然だけど
ずっと寝てるから

遺伝子の検査を受けてはどうかと
言われた。

私は全然初め何を言われているのか分からなかった。
早産で産まれたから今は活動的じゃないけど、そのうちよく動くようになるし
哺乳力もついてくる。
そうじゃないの?

頭が真っ白になって
ひたすらケータイで検索するようになった。

凪の病気の疑いがある病名は
プラダーウィリー症候群
遺伝子の病気で治療法はない。

検索すればするほど
凪の症状が当てはまっていて
信じたくなかった。
きっと違う。違うに決まっている。

検査の結果が出るまで生きてる心地がしなかった。

私が何かしたのかな?
悪いことしたかな?
妊娠中不良妊婦だったから?
自分を責めるしかなかった。

今まで人生でどん底って味わった事がなかった。
結果いつも良い方にいくから。
この時ばかりは自分の気持ちの容量の
キャパを越えていた。

そして凪の病名は
プラダーウィリー症候群だった。
15000人に1人産まれてくる
遺伝子の病気。
原因は不明。15番目の染色体が欠けているもしくは片方ない
治療法のない病気。

出生前診断を受けてもわからない病気。

それから生きている心地もなく
前向きにもなれず
もう一生心から笑えるかもわからないぐらいの精神状態だった。

当たり前のように元気な子が産まれてくる
そう信じて疑ってなかった。

母乳は出るけど飲めない凪。
お腹が空いても泣く力がない凪。
ずっと人形のように寝てる凪。
退院のために経管栄養のチューブ交換や医療行為を学ぶ入院生活。

現実なのか夢なのか分からなくなっていた。

退院して凪との生活が始まって
一向に前向きになれない私を横に
旦那さんは違った。
沢山凪に話しかけて可愛がってる姿に
前を向いている姿に
本当に勇気づけられた。

凪はこの家にくれば幸せにしてくれる
そう思ったから選んできてくれたんだよ

凪が産まれるまで私は本当に
何も知らなかった。
妊娠をする事
妊娠を継続させる事
そして母子共に健康である事

全てが奇跡なんだと。

今まで私は本当に人と向き合えていたかな
感謝して生きてきたかな
自分の人生を振り返って
あさはかな考えのもと生きていた

凪がいなかったら
命について知ろうとも思わなかった
女性の体の仕組みを知り
そして心に寄り添いたいとも思わなかった
周りにいてくれる人に感謝を心からする事もなかった

私の人生観がガラッと変わった出来事だった。

凪を幸せにする事が出来なかった。
私にはもう子供を産む資格もない。
そう思った。

旦那さんも私なんかじゃなくて
もっと素敵な人と一緒にいた方が幸せになれる。

でも全てを受け入れてくれた。
今まで自分の為にきっと生きてきた。

旦那さんがお父さんになる所を見たい。
お父さんにしてあげたい。

今回授かった命はその願いが強かった。
そして、どんな子が産まれてきても
決心はついている。

凪が教えてくれた事で
もう何も怖くない。
凪にしてあげれなかった事を
全力でする。
そして、凪の分まで生きて
自分が死ぬ時にやり切ったと思える人生にする事。

命には命の分までストーリーがある。

今は何よりもうすぐ産まれてくる新しい命を守るのと必ず幸せになる事。

凪と繋がっていれるように
名前に願いを込めて。

こんな私の元に来てくれてありがとう。

一生懸命生きるよ。

#妊娠 #出産#湘南