【1,197】基本的なタブーを教える大人の不在
アリゾナ州で、14歳の娘の誕生会を行ったユダヤ人一家が、まさか娘の友達から鉤十字のデザインをしたカップケーキを渡されるとは思わなかった、という一件があり、それを母親が写真とコメント付きで自身のフェイスブックにアップした事から、ソーシャルメディア上で結構な騒ぎに発展したのだが、これは結構、考えさせられた。
昨日から続いている仕事を早朝から片付けつつ、自分のツイッターのタイムラインに息抜きで目を移した時に、飛び込んできたニュースだが、昼の外出中に乗っていた電車内でも、ティーンの子供を抱えるアメリカ人の若い親にもこういった、重要なタブーを教えない人たちが少なからず出始めているのか、とまあ、色々思った。
上記の事件に関するコメントはここで書くよりも、きちっとした形で、現役の学生さん相手に投げた方が良いと思ったので、そちらへ移した。
ハフィントンポストも上記の事件をピックアップしていたが、記事の最後で、トランプ当選後のニューヨークでスワスチカの落書きが見られた件に関してもちゃんと言及しており、無知の恐ろしさというか、特に子供にきちんとした教育を与えていかないとならない年齢の親に不安を感じるのは、世界のどこでもそうなんじゃないかとすら感じたものだ。
もうすっかり風化したがちょっと前に、日本のデザイナーはアイドルになんてモノを着させてるんだと騒がれた件(日本はナチズムに関して歴史的に見ても寛容的、という話しが妙に面白かった)を、いずれ余所の国も笑えなくなりそうで、怖い。
私自身、ドキつい笑いやブラックジョークをけっこう求めるものだが、それはしっかり知識や教養の土台があってこそだと思うし、だからこそ、無差別テロが発生した時などに的確な意見と立場表明が出来る司会者が中心の、アメリカの深夜トーク番組の大半を嗜むことが出来るのだ。
適当に発言しているようで、実はかなり細かい部分で「これは有りだが、これは無し」の明確な線引きをしているし、昔と違って「面白ければ何でも有り」を簡単に認めない姿勢を、今は保っている。
例えばアメリカで長年、生活をしていると、身障者を嘲笑するのが最低行為のひとつ、といった考えが、否が応にも身に着く。なので私の中では、カタワネタは基本、NGなのだ。
基本的人権の尊重をあらゆるレベルで無視し、戦争を全面的に肯定するような事象や物体に対しては、せめて私と関わるひとたちには、断固反対の立場を取ってほしいとも思う。
だからと言って、私は「人の生死に関わる」ネタを一切否定するような気は無く、非現実的且つ何処となくコメディな死に方をしたひとたちも実際に存在するわけだから、その辺りは、その時その時の状況に応じて、これは自分周りの人間を楽しませる上でネタにしても良いし拒否反応はされないだろう、と判断すれば、だ。
食事の支度をしようとした時に限って長文になりそうだったので、今日はここで区切る。