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何を書こうか

ども。ご無沙汰です。

最近、少しずつ自分の中で変化していることがあります。
箇条書き失礼します。※内容結構重いですw

・俳優への拘りが薄れた
・絵を描くことがストレス発散になっている
・両親他、人に「さっきの嫌だった」が言えるようになった
・前よりも自分が前向きでいられる時間が増えた
・相手を優先して人と会うのを辞めた(人に疲れてしまう為)
・親友だった友人と離れた(数年間八つ当たりされた為)
・優しく、心の豊かな友人が増えた
・何のために生きてるんだろうと考える時間が減った△

上京する前から俳優部を継続してきて、
その殆どの時間、精神を削りながら生きてきた。
ここまで継続してきた理由は、未だ見ぬ信じたい未来のため。
もっと先に行けばこの現実は無くなるはずだと信じてきました。
しかし、そこに到達する前に乗り越えるべきことは芝居だけではなく、
女性としての下ネタの交わし方(交わしてこそ大人)、
セクハラへの免疫をつける(無いのは常に私のせい)、
笑い話にできるくらい強くなれと言われる(寄り添いなし)、
肩書きのある方からの罵倒、謎の誘い、人としてよくなめられたし、
俳優部同士の嫉妬の聞き役、愚痴のはけ口役、
悩んでいることや最近起きたことを話のネタにされること、
裏切り、第三者の作り話によって簡単に失われる信用、
謝れない大人への怒り、人に雑に扱われることの悲しみ、
たらい回しにして金銭を支払わない事務所との出会い、
両親の別々の意見に挟まるサンドイッチ、不穏さ、
映画では生死や愛について書くのに誰も声をあげないことへの失望、
もう書ききれないほどのことに疲れてしまいました。

そして正直に言うと、映画やドラマを昔のように
純粋に「好きだ」と思えない自分が数年間存在しています。
勿論、他のものに比べれば全然好きです。全然好き(笑)
だけど、どこかで虚無感や失望感がある。

この仕事をしながらアルバイトをする+一人暮らしをするということは
なかなか自尊心を削られるものでした。
俳優として最低限気を配る外見等のメンテナンス、トレーニングは実費、
舞台はノルマ、稽古期間の支払いはなし、
会社員じゃないから常に金銭は不安定。恥ずかしかった。

幼少からこの仕事をすることを目標にしてきただけあって
仕事がうまくまわせていないことにコンプレックスがありました。 
コンプレックスの塊でしかなかった。毎日。
なんのために生きて、私っていつ死ぬんだろう、
このまま死んでいくとか無理すぎる‥と思うことも少なくなかった。
死んでやろうとかは大して思わなかったけど。

後、意外と人に意見できなくてストレスを沢山ためて
全部私が悪いんだと考える癖があって。
多分これは私が生きてきた癖なんだと思うのですが
とにかく相手の気持ちや態度を見て、それを優先してしまう。 
相手の機嫌を損ねないように振る舞ってしまう。
自分ごときが意見してはならない‥というような錯覚がありました。

でも、これは私が本来もっている性格ではないこともわかっていました。
※多分本来はかなりの根明なはずなので。

あらゆることが自分を麻痺させ、自分は元々そうだったかのように
形成されてしまって。自身を取り戻せない日々でした。


今はただ、幸せだと感じるにはどんな道がいいだろう?と
ただただそれだけを考えている。

私はかなりの時間、自分を蔑ろにしてきたと思う。
だからこそ、もうこの状況は飽きた、うんざりだと思っている。
まぁそういうわけです。

私にとって救いだったのは、誰かの優しさに甘えて逃げなかったこと、
(人によっては逃げ場がある必要はあると思う)
去ろうとする時に声をかけてくれる存在がいたこと。
本当にありがとうございます。

今はまだ、まとまってなくて
ただ目の前のことだけをやり続けて続いた道を走れば良いと思っている。
いずれにしても創作活動は続けたい。
だから創作活動をするに値する人であるために
必要な声はあげたいし、潰れない範囲で手を挙げ続けたい。

そうやって考えていたら、自分の思考が楽になった。

心が常に何かに押し込められてるようだったから
一人の時間が今も尚とても大切すぎて、
私はもう誰かと住んだら頭がおかしくなるんじゃないかとすら思う。
だからこの脳内にこびりついている嫌な思い出が
綺麗さっぱり、さらさら流れて消えてほしいと思う。※死なないよ(笑)

今はそう思って生きてます。
誰かに相談したいとか、慰めてほしいとかもない。
さみしさも大して無い。

これが現時点の私です。書きすぎたかな。
明日はきっと今日よりもっと心が晴れる1日になるよ。おやすみなさい。

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