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『WOMBS ウームズ』覚え書き

読書感想投稿サイト「シミルボン」での日本SF作家クラブによる連載のひとつとして書いた文章です。「シミルボン」が2023年10月1日 をもって閉鎖になりますので、ここに転載することにしました。よろしければお読み下さい。
初出「シミルボン」 投稿日 2019.08.12


はじめまして、白井弓子といいます。マンガを描いています。『WOMBS』は2009年から2016年にかけて描いたSFマンガです。異星の生物を宿した「妊婦」が特殊能力を使い兵士として戦うというこのお話にまつわるいくつかのエピソードを並べてみたいと思います。

事の始まり

ある日、ローカルのバラエティ番組をなんとなく見ていた。男性タレントと、弁護士等「かしこ」な人が数人で「男のホンネ」を語るというコーナーで、いつもは自虐ぎみな会話をなんとなく笑いながら見ている事が多かった。どういう経緯だったか忘れたのだが、その日は妊婦の話になった。
「駅のホームをよたよた歩いている妊婦を見ているといらいらするんですよ。むしょうに突き飛ばしたくなる」
は?
耳に飛び込んできた言葉に、家事の手が止まる。発言したのは「かしこ」な男性であった。テレビの中のタレント達は「わかるー」的な笑いに包まれ、少なくとも強く否定している印象はなかった。なんせ四半世紀前の事なので、ディテールがあいまいだ。全く違う言葉だったかも知れない。番組もタレントも具体的にはよく思い出せない。思い出したとしても偽造記憶の可能性さえある。だがその時の衝撃だけははっきりとしている。衝撃が私を押しやり、人生を少しばかり変えたのは事実としてここにあるからだ。今ここでこういう文章を書いている人生へ。
今更発言を責めたいわけではない。ただの軽口だ。軽口に過ぎない。その「かしこ」さんは思うだけで誰も突き飛ばしていない。だいたい私自身、いついかなる場合でも妊婦が誰より大事にされるべきだ、などと思っていたわけではない。実際自分が妊婦だったとき、世の中には様々な理由で立っているのが困難な人が居るが、自分は元気な妊婦で疲れてもいないから大丈夫だ、と突っ張って、電車で席を譲られても断ったりしていたのだ(今思えば断らない方が良かったと思うが)。それでもわざわざ攻撃される理由があるなどとは一瞬も考えた事はなかった。思えば親切な人に囲まれて幸せに暮らしてきたからだろう。後にママ友がひどいDVにあっていた事をうちあけてくれた時には絶句するほかなかった。結婚直後から豹変した夫に暴力をふるわれ、妊娠中に執拗に腹を蹴られたこと。まじりっけなしの暴力を我が子が入っているおなかにふるうことができるとはどういうことなのか理解できなかったがそういう現実がある事を知った。
一体妊婦とは何なのか?なぜ大事にされる?なぜ憎まれる?そう、どうやら駅や電車を戦場だと考える者が居るらしい。ここは戦場なのにのこのこと現れ、大事にされて当然だという顔をしている。いいじゃないか。戦場上等だ。戦士なら対等に扱ってもらえるのではないか?

転送兵が出現する

マタハラ(当時そんな言葉は無かったが)について現実的に考える前に、私の頭は極端な飛躍に次ぐ飛躍を始める。だが正直なところ、その大部分は意識下で起こったものではないのだった。ある日、シンプルな服を着た妊婦が脳内に現れる。彼女は未来的な駅で未来的な服を着て未来的な地下鉄を待っていた。なめらかな流線型の世界。私はそれをかきとめる。ここで妊婦は現実から一段階飛ぶ。あるときは妊婦が二つに分裂する。現実の妊婦と、もう一つの世界で戦う戦士の妊婦だ。彼女の武器は「はさみ」で、まだ日常を引きずっている。それはかきとめるだけでなく『Baloon in the sky』(自費出版)というマンガになった。ある日、とうとう彼女は姿を現す。彼女は最初から絶叫している。私の中の何かが破裂する。頭から足先まで、そして大きなおなかを完全にアーマーで覆った「軍曹」は戦場を飛んでいるのだ。爆炎の中を絶叫しながら戦っている。彼女がどんな戦争で戦っているのかわからないし、何を絶叫しているのかはよく聞こえない。それがわかるまで長い長い時間がかかった。かき始めるまで10年、かき終わるまでさらに7年。最後の瞬間までわからないこともあった。彼女に教えてもらえないままだったこともあった。でもそこに1本のマンガが出来ていた。


理不尽、夏の雪だるま

もちろん最初に書いたささいなきっかけだけではない。様々な怒りや理不尽が雪だるまのように集まり大きくなる。自分が経験した、勝手に産む性である私の体を一瞬「活用」して去っていった者達とか。この世にどれほどの地獄があるのか教育の過程で教えられることもある。自分で探しに行くことも。自分が経験したわけではない理不尽で過酷な体験をわざわざ調べに行く。知らないことが恐ろしいから。夏には、特に。船で知らない場所に運ばれていって、補給も、何が食べられるのか知恵の蓄積もない土地に放り出される男達の恐怖。新天地が地獄に変わる住人。逃避行。生の対価としての性。なぜこんなことに?確かにこうしてああなりました、わかりました。でも何度でも言いたい、なぜそんなことに?

戦闘を描く困難

先日フライボードという空飛ぶマシンをニュースで見た。空飛ぶボード、ああ、高校生の頃あこがれて、何度も描いたあれだ!とうとう実現したのか。しかし別の番組では、ボードの上の人間はライフルを持ち眼下に向けている。軍事用なのだ。たちまち自分の視点はフライボードからおろされ、眼下の敵になってしまう。そういう質なのだ。あんな騒音をたて的にしてください、といわんばかりのボードから狙うのは武装していない者ではないか。私は丸腰で逃げまどう。このように私は武器を見ると使う方でなく使われる方の視点になってしまう事が多い。『WOMBS』を描いていたときもそうで、戦争物のわくわく感に欠けるのは、そういう理由なのかもしれない。でも兵士を描くからには「フライボードに乗らなくてはならない。」処方箋が必要だ。

ちなみに敵も全くわくわくしていない。そう、無人機とロボットだから。

種を超えた共存と搾取

一方種を超えた共存と搾取という要素は、どこからきたのか?SFでおなじみのこの要素は直接的には佐藤史生作品だと思われる。
『心臓のない巨人』に収録された「バビロンまで何マイル」と『チェンジリング』の表題作。どちらも「種」を超えた搾取の話だ。影響を受けたと思う。
「チェンジリング」のシーカー・リンは言う。「正しかろうと間違っていようと問題じゃないってことがあるものよ。だってわたし達は”貴種”なのよ?」どうにもならない属性、それでも危機を乗り越えた後、公正さをもっていつでも奴隷になりうる彼らへの搾取の道を閉ざす。


海外で

2017年にワールドコンで日本SF作家クラブの錚々たる皆さんに『WOMBS』をアピールしていただいた。見本誌がひとづてに世界的SF作家L・M・ビジョルド氏にも渡り、興味を示していただいたのにもかかわらず新規の海外出版をとりつけることはできなかった。


理由については色々とうなづけるが、残念な事にかわりない。そのかわりというか残念の上塗りというか、マンガの常で、英訳された海賊版がネットをふらふらと出たり消えたりしながら航海中である。こんな感想を読んだ事がある。「日本人は戦時性暴力の加害者なのに、被害者ヅラしてこんなものを描くのか?」「関係ないだろう」何人かがフォローに入り活発な議論が交わされていた(全員海賊版をタダで読んだ人たちだが)。自分も思うところはあふれたが、複雑な思いで見守るしかなかった。忘れられない反応だ。
ちなみに唯一最後まで翻訳されたのはタイ語版である。


旅の途中

私の個人的な驚きと傷つきから始まったこの話がどこまでの普遍性をもちえたのか、それはわからない。自分勝手な思いこみ、気付かないうちにふりまいた偏見、無知故に無視し無神経にふみつけたもの。気付いたものもあるし、気付けてないものもあるだろう。完結から3年経ったが、様々な事情から、書き切れていないこともある。彼女たちに教えてもらえていない事を訊きに行きたい。時々まだ旅の途中だと感じている。


追記


2019年の文章なので現在では色々と状況が変わっている事もある。旅の途中、と締めたとおり、描きたかった過去編を描く機会を得て、WOMBS CRADLEを出版することができた。旅は終わった。

能力の限界から、描くべき事をすべて描けたとはいえないかもしれない。でも夢を夢のままに終わらせることなく描き切れたことは何物にも代えがたい。いったん完結したマンガでは(国民的ヒットを飛ばしたとかそういうことでもなければ)めったに無いことなので。本編の出版から過去編のにいたるまで、お世話になった方々にただただ感謝するのみ。

また、受賞後の海外での出版については、その後フランスで出版していただけた。それも過去編まですべて完全に出していただけたということで、これ以上は望むべくもない。

実を言うとシミルボンに寄稿した「描くきっかけ」のディテールを、同じように思い出すのは難しくなっている。ほんの4年ほど前なのだが。WOMBSのアイデアが出たのは30歳前後のことだったので最後のチャンスだったのかもしれない。書く機会を頂けて良かったと思う。

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