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わたしのキャリア(育休後)

前回の続きで、栄養士の仕事にギャップを
感じながらも、周りに言われた通りに働いていた。

そして30歳になり、子どもを授かり育休を経て
会社に復帰した。

ただ、その時は時短勤務でかつ子どもの病気で突発で
休むこともあったため、
栄養士というポジションをおろされて
調理師の料理を作る仕事に変わった。

そこで、私はまた苦難が待っていた。
今まで現場で調理をしていなかったため、作業は遅い。
また手先は人一倍の不器用。
時間内に作業ができることも求められて
言われたことを理解するのにも時間がかかる。


「栄養士やってたから、できるでしょ?なんでできないの?」と
言われたり、聞こえる声で「あいつ使えないー」と影口を言われて苦しかった。


頭では分かっているけど、作業が淡々とできない。
きちんと真面目にしているのに、できない悔しさ。
時間内に終わろうとすると雑になり、さらに手間がかかる矛盾の気持ち。
途中で現場に来たから、味方もいなく孤独な日々。
そんな場所は私にとって精神的にとても苦しすぎた。

その上、子どもの体調不良で会社を休んだり
私自身も「辞めたい。キツイ。辛い。」と周りの人
はもちろん家族にも言えず、毎日心で吐いた。
(他の人に心配かけたくない。できない自分は言い訳する資格がない。変なプライドもあって、自分で耐えればいいことと思った。誰にも言えなかった)


そんな精神的な苦しみが身体に影響しはじめて
肺炎を患い20日間ほど会社を休んだ。


そうなると、ますます年下の社員の子からも
煙たがれる。
仕事はできないのに、また休む。
それなら、他の人に働いてもらった方が融通がきく。
邪魔な存在だとなり、風あたりがひどくなった。


そして私自身もなかな寝付けないことも増えて
仕事中にふと涙が自然と落ちてくる。
でも、その気持ちは隠さなきゃいけない。
変に思われるのは嫌だと常に葛藤していた。

そしてしばらく耐えていた。
ただ、GWにクラブメッドという北海道の施設に行ったのをキッカケにプチっと糸が切れたのを感じた。

クラブメッドはスタッフの人が生き生きと働いている。
それぞれニックネームで呼び合って、笑顔でみんな
友達のような雰囲気だった。
またゲストの私たちに対しても親身に接してくれた。
私が忘れかけていた「人として接してくれた温かさ」
を久々に思い出せた。

また楽しそうに働いている姿が衝撃的で
「私は今まで、なんで耐えて働いていたんだろう」
とまさに人生観が変わりショックを覚えた。

GWが終わり、また日常の仕事に戻ると
耐えてきたものがボロボロ崩れ落ちるのを感じた。
「私、何しているの。いつまでここにいるんだろう」と。


そしてGWから2週間が過ぎたとき、
家のベランダで、「ここから落ちたらどうなるかな。
楽になるかなー」と下を覗き込み、そのまま吸い寄せられていた。


その時「ママー。ご飯まだー」と娘の声で我に返り、
そのままベランダに座り込みで放心状態になり
訳わからず涙がボロボロ出てきた。


そして初めて「このままじゃダメだよなー。。。」
と最後の勇気を出して精神科に行くことにした。


もちろん診断結果は「鬱」
しばらくは会社を休むことになった。
でも「会社には伝えるのは怖い。何か言われるのは、もう嫌だ!でも私は何もできない。したくない。」
と不安でいっぱいで苦しかった。

その時に「もう心配しなくていいよ」と
旦那が会社との連絡の架け橋をしてくれたことは
今でも感謝している。

今まで変なプライドで強がって耐えていたけど、
生まれてはじめて人に甘える事ができた。
娘たちも「ママゆっくりしていいからね」と
言ってくれて、救われた気持ちになった。

家族は大切で共に支え、支えられる存在だと
実感できた。


働くのはお金のためだけでない。
お客様のためだけでない。
家族との生活を楽しくするため!

家族との時間を大切にするため!

そうシフトできた瞬間だった。

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