私にとっての供養とは?
朝起きてFacebookを立ち上げたら、今は亡き友人の名前が誕生日を告げていた。
彼女のタイムラインをしばらく眺めていた。
そこには彼女が生きていたときの息遣いを感じ、ちょっとセンチメンタルな気分になる私がいた。
特に親しかったわけではないが心理学を一緒に学んだ大切な仲間、同期の一人だった。
彼女と最後に話したのは友人が主催したランチ会だったと思う。
私の勝手な想いだが、こうやって思い出すことが何よりも供養かなぁと思ったりする。
確かに、彼女は生きていた。
私も生きなきゃと思う。
その後、もう1人、子供が小さい時に一緒に頑張った友人が亡くなった。
そして、大好きなワンコの死。
この数年間、ほんとに私の中で『死』というものを身近に感じた。
そんな中、私自身も何だか体調を崩していった。
私はどちらかと言うと、そういった出来事をものすごく感じてしまう体質でしんどくなってしまう。要するにHSP体質なんだよね。
だからこそ良い面もあるし、悪い面もある。
そんなことを踏まえながら...
人は、災害にあっても、たとえ事故に巻き込まれても、病気になっても、寿命が来なければあちらの世界には行けないのだと、ある方に言われた事を思い出す。
今本当にいろんな事が起きていていろんな情報が溢れていて、一体何が真実なのか、自分で見極める力を必要としている。
自分はどういう生き方をしたいのか?
自分にとって何が大切で、何を、誰を守りたいのか?
憂いている場合ではなく地に足をつけて勇気を持って生きていく力が必要なのだろうな、と思う。
数年前、ある方に私のアカシックレコードをリーディングしてもらった事があった。
その中でライフシールというのがあってそこにはハスの花の横にネズミがちょこっと乗っかっていたのだと。そこが私らしいのだとおっしゃっていた。
そうそう、すぐ深刻になってしまう私はユーモアを忘れないと言うことだと思う。
*写真はフリーサイトからお借りしたものです。
亡き友人の誕生日にそんな事を思った。