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「FIRE卒業」の言葉に思うこと

昨年、投資関係の記事でよく目にしたFIRE(Financial Independence, Retire Early)が新たな展開を見せている。
FIREとはつまり、若いうちに投資などで資産を作り、その運用益を元に仕事やあらゆる束縛(時間や住む場所など)から解放されることの略語で、ここ数年、それを目指し多くの方が仕事を辞め、自由な人生を謳歌してたと聞いていた。

ところが昨今、今度は「FIRE卒業」という言葉がトレンド入りしているらしい。

理由は主にふたつ
①確かに経済的には何の心配もなく資産を築けたが、実際仕事もしないで旅行したり、遊んでばかりの生活はすぐに飽きてしまうこと、そして家族がいる場合長すぎる時間の共有で夫婦関係や親子関係も悪化しかねないことで、結局仕事に戻る人も一定数いること。

②もうひとつは、主な投資先でアメリカの外国株などで当てにしていた投資環境の悪化とインフレによる支出の予算の検討外れで先行きが不安になり働く選択肢を選ばざるを得ないということ。

そもそも、何の根拠からその考えが広まったのか分からないが年収の25倍というのがひとつの定説らしい。
年収250万と考えれば6250万が目安となり、それを年利4%で回せば毎年働かなくても資産を減らすことがないという理屈である。そこに社会保障費や税金も含まれてるの?と思うと別な心配もおこるがそこは置いておいて、もうひとつの「億り人」とまで資産を積み重ねた人でも私個人的には、あまり羨ましいとも、やってみたいとも思わなかった。

現在私は60手間、アーリーリタイアと呼べる年齢でもない。むしろ資産があるなしに関わらず「セカンドステージ」について真剣に向き合わないといけない年齢になった。

仕事を複数持ち、生涯現役と思いつつも自分のライフステージにおいて、社会状況、家族の状況、体力的にも3.40代と同じ調子で働くのは難しいと感じるようになった。

子育てがひと段落ついた50代になって労働だけで生活を保障していくのは何とも心細いと感じた。だから投資に積極的に関わってきたし、勉強会なども開催した。二十歳の頃から始めていた投資だけど、ここ10数年が1番がっつり関わった。ある程度、自分の目安となるパフォーマンスが見えてきたこともある。それと同時に自分の限りある人生の道筋も見えてきた。だからなのか改めてお金って何?と考えてしまう。

すぐに答えが出るものでもないが、今つくづく思うのは、お金も、時間も上手に使いこなすのは本当に難しいということ。資産を築くことも大事だけどそれと同時に、自分という器を磨きスキルが伴っていなければお金という魔物に飲み込まれてしまうと感じる。

若い頃と違ってブランドや物そのものにこだわることがどんどん無くなってしまい、お金がないと幸せが買えないというウエイトが減ってきたこともある。
外で豪華なディナーもいいけど、自分で作るご飯が1番落ち着く。家でゆっくり過ごすことが極上の時間に感じるようになった

むしろ、お金で買えるものよりも、無形資産、健康やご近所付き合いや、自然と戯れることが日々の暮らしの中でとても大切に思えてきた。

お金はあくまでも等価交換の手段。仕事も無駄なことも含めての積み重ねや豊かな人生経験があってはじめて、そのお金を「等価交換」=活き金に替えて使えるのだと思う。

だからいいこともそうでないことも成功も、失敗も含めてそれなりの経験と智慧をつけていくプロセス無しにお金だけが有り余るほどあっても幸せを実感出来るのは難しいのではないかと思うに至った。
だからアーリーリタイアという選択肢に違和感を感じたのだとわかる。キャリアも経験も少ない中でそうそうに自由な人生を心から楽しめる人は、中々いない。

そんなに急がなくても、時を重ねていけばリタイアのステージはやってくる。定年を迎え肩書きもこれまでのスキルも経年劣化して人生の下り坂を歩き始める。それでもなお豊かに日々を暮らすためにも、色んな経験を積んだ方がいいし、若い時のお金は自分のためにスキルを磨くことにふんだんに投資した方が人生のパフォーマンスはよくなると伝えたい。

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