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恩師との再会

これは2年前の今日、書いたものです。
私に文章を書くことの喜びを教え、ずっと応援してくださった小学校時代の恩師、松田先生。
この時また次もと再会を誓っていたはずなのに叶うことなく、奇しくも一年前の今日、天国に召されました。
あの時、思い切って逢いに行けて本当に良かったと思います。声をかけてくれた友に感謝。
自分がひとりで大きくなった気がしてましたが、どれだけ沢山の人の支えがあって今の私がいるか身に沁みます。
今日は、空に手を合わせ先生の思い出と感謝の気持ちを忘れないように、この文をnoteに残したいと思いました。
本日は、自分のための心の処方箋です。
よろしければお付き合いください。

2019年1月10日

私が通った小学校はその当時
長崎市内でも1番のマンモス校だった
校舎から生徒が溢れ、プレハブで過ごしたことも

長崎なのに冬は雪も降りプレハブは凍えた
長崎だからストーブは標準仕様でなく
あの時代だからクーラーは贅沢だと付けてもらえず
中々の環境の中で6年間を過ごした

それでもマンモス校の良さは同級生がたくさんいるところ
久しぶりに アルバムを見ても
この6年間、そして殆どがそのまま地元の中学に行ったこともあり
自分でもびっくりするくらい名前と顔が一致した

その中でも思い出深い学年といえば
5.6年持ち上がりで過ごしたこのクラス
今年のお正月、友だちに声をかけて頂いて
久しぶりに先生のご自宅にお邪魔した

その前は、私がフリーとなって帰省した時だからもう7年程前
久しぶりに電話をすると声はお互いちっとも変わらない
「あら、あなた弓ちゃん、まあ、どうしてたの弓ちゃん!」と
40年前に戻ったように会話が続き、再会の日を約束する

聞けば先生は今年で90歳になられた
耳も遠く、記憶も朧気だと嘆きながらも
レストランの支払いは私がするのと
私たちを嗜める

先日友に、甘えることも孝行だと教えてもらい
素直におご馳走になることに
「忘れた、忘れた」と言いながら
先生にとっても印象深いクラスだったからか
私が全く記憶にないこともスラスラ出てくる

とにかく先生から見ても女性が強い
アマゾネス学級だったそうだ(≧∇≦)
私は、調理実習の時の印象が強くて
調理場を仕切っていたらしい

「マ・メゾン」をするなんて思ってもいない頃だけど
その片鱗は見えていたということか
そして、転校生や病気などで馴染みにくい生徒さんがいれば
先生の戦略⁉︎で隣に席が決められ
その隠れミッションを知ることもなく
せっせと務めを果たしていたとのこと

こんなお話も今でないと聴けなかった
先生は、何度も何度も
「今度はいつ来るの?」と尋ねる

次回はもっと仲間を連れて行きますからね
先生がこうしてお元気でいてくださった
私の不精も、遅ればせながら
何とか間に合ったことに

久しぶりに会った同級生も
実家があり両親が元気だから繋がった
今というタイミングと残された時の大切さが身に沁みる

こうして今と過去を行き来しながら
反省と感謝を繰り返す年明けとなった

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