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日記12月1日−7日 香港・東京・沖縄

*7日間の日記をアップしている#あっち行ったりこっち行ったり。通常は有料ですが(初月は無料)今回は、香港のことを読んでいただきたいので2日分はオープンにしています。

12月1日

 朝起きたら香港のホテルだった。るいくんと待ち合わせをして、まずは街を少し歩いた。香港に乗り継ぎ以外で来るのは実に久しぶりで、いろいろ記憶を辿ってみたら、最後にやってきたのは、1999年か2000年だったと思う。今はもう買収されてしまって存在しない中小の出版社に勤めていた頃、アジアの出張に派遣されて、香港をハブにいろいろ旅したことがあった。その頃に比べたら、ずいぶん新しいビルが増えている。
 日曜日は、香港の家庭でナニー(乳母)や家政婦など、「ドメスティック・ヘルプ」として働いているフィリピン人の女性たちが高級ブティックが並ぶ路上に集まるのだと聞いていたが、本当に驚くほどの数の女性たちがひとつの地域に集まって、道にシートを敷いてダベったり、音楽を聴いたり、踊ったりしている。人混みというものが得意ではないのだが、女性ばかりだと怖さを感じない。別のエリアには、イスラム教のヴェールを着用した、フィリピン系ではなさそうな女性たちが集まっていた。自国を出て、他人の国で仕事をしている女性たちが、週に一度集まって楽しんでいるのだなと思うと、なんだかほっこりする一方、私は海外に出たばかりの頃、日本人と集まったりすることは少なかったなと、それはなぜだったのだろうと思い返す。人が嫌いだった、ひとりになりたかった、いろんなことがあったのだろう。私は、海外にいって、初めて人のことを好きになることができたのだ、初めて人を好きになることができたのかもしれない。
 るいくんが何度か来て発見したえびワンタン麺の店に連れて行ってもらい、そのあと最初のデモに行ってみた。最初に行ったのは規模の小さい「no tear gas to children(子供に催涙ガスを使わないで)」デモだった。家族連れが多く、小学生くらいの少女が「我想要未来」(we need to think about future) と書かれたスケッチブックに持っているのが印象的だった。

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 香港のデモは連日報道されているし、Twitterなどで見て知っていたが、今は、民主派が圧勝した区議選挙が終わり、少しメローになっていると聞いていた。最初のデモは規模も小さく、平和なムードだったが、沿道に立つ重装備の警察官の姿と対象的だった。
 そのあと、香港理工大学に行ってみようということになった。学生たちが立てこもり、火が出ていた場所だ。

 晴れた日曜日、大学は静かな様子だったけれど、バリケードが張ってある。火が出て燃えた後が黒く煤けたようになっていて胸が痛い。抵抗運動のシンボルになった傘が無数にバリケードの一部になっている。漢字でいろんな言葉が書いてあるのだが、中には一つ「help us」と英語で書いてあるものがあった。外の世界のヘルプを切実に求めているのだろうけれど、何ができるのだろうか。あとから後から人がやってきて写真を撮っていく。

 大学に雇われているのか、学生たちに雇われているのか、入り口各所には黒いスーツを着たセキュリティの男性たちがいた。彼らは大体、東アジア系か黒人だった。香港におけるマイノリティたちがこういう仕事をしているのか、と興味深かった。
 その後、メインのデモ「not one less」マーチに行った。民主派が求めている5大要求を、ひとつも譲らないよ、というデモである。

 デモは、九龍の水際の美術館の時計台からスタートし、遊歩道に流れる。隣では、フィリピン系住民のために開催されていると思われる音楽イベントをやっている。そちらの観客がデモに手を振って支援の意を表明している。そして、デモは、あっという間に公道に流れた。すごい人の数だ。最近、香港人権法を通したアメリカ国旗や、元宗主国の英国旗も多数見える。英米政府が良いかといえばそうではないのでちょっぴり複雑な気持ち。

 警察が、車道に出るなとメガホンで言っているが、あっという間に人の波が公道に流れた。全身黒を来て、マスクをしているアクティビストたちの顔を見ると、とにかく若い。あれよあれよという間に、集まった人たちが道を埋め尽くした。10人にも満たない警察があっという間に角に追いやられ、デモ隊が占拠するスペースがどんどん広くなるに連れ、警察がジリジリと後退していく。きっとすぐに応援を呼ぶだろうと思っていたら、向こう側から警察車とともに多数の警官がやってきた。ネイザンロードという高級ブティックが立ち並ぶ道で、デモ隊と警察が睨み合っている。前のほうから、傘を求める指示が出たのか、傘を持ってきた人たちが傘を前方にまわしていく。
 黄色いベストを着用した記者たちも多数いる。少し上から全貌を眺められる階段に立っている記者団とともにしばらく上から見ていた。警察が警告が書かれている旗を出した。静かに睨み合っているなと思っていたら、ある瞬間、びっくりするような勢いで、警官隊がデモ隊に向かって走り出した。デモの人たちは蜘蛛の巣をつついたように逃げ惑う。
 震源地が変わったので、階段の上からだと何が起きているのかわからない。逃げたデモの中心人物たちと警察がこちらのほうに走ってきたことがわかったから、階段を降りてみた。気がつけばまわりの人がコホコホと咳をしている。音は聞こえなかったが、あとであれは胡椒スプレイを使ったのだと教えてもらった。パンと催涙ガスを撃ったのだろうという音が聞こえてきて、再び、人々が走り出す。私たちも、全速力で走る結果になった。
 そろそろ陽も落ちてきた。だんだん人も減ってきた。そろそろ帰るべきかもしれない。フェリーのほうに歩きかけると、人懐っこそうな女性が話しかけてきた。片言の日本語で、「日本人ですか?」と聞いてきた。「日本人ですよ」と答えると、「勇気あるね」と言われた。「一度、見ておいたほうがいいと思って」というと、「ありがとう」と軽く頭を下げる。
「今、香港の人たちは、大変よ。本当のことを伝えてください」
 本当のことーー自分が見たことは、伝えることができる。それが「本当のこと」なのかというと、それはなかなか難しい問題だ。「あなたの本当のことは?」というとちょっと不思議そうな顔をしたけれど、すぐに私の質問の意を理解して、「Polic Brutality」と言った。「昨日も、女の子の死体が川から上ったらしい。警察の仕業だと思う」と顔を曇らせた。
 まったく慰めにならないなと思いながら、「これだけの人が集まるなんて、香港の人たちはすごい」と言った。「はい、今日は80万人出たという話を聞きました」。あとで報道を見ると、30万人という数字が上がっていた。どちらにしてもすごい数だ。
 フェリーに乗って、香港島に戻り、今、季節だという上海蟹を食べた。泣きたくなるほど美味しかった。
 ホテルに戻ってアプリで確認すると、28000歩も歩いていた。


12月2日

 月曜日。朝起きてまずはコーヒーをのみに地上階のスタバへ。香港の表情は週末と月曜日の姿は衝撃的に違う。路上には、配達用の大型トラックが所狭しと並び、荷降ろしが行われていて、ものすごい活気である。週末に何が起きても、月曜日は普通にやってくるのだ。
 今日は特にデモはないようなので、朝から何時間か原稿を書き、昼頃、ベジタリアンの点心Lockchaに。台湾といい、香港といい、中華圏の菜食はとにかくレベルが高い。舌鼓を打っていると、るいくんが前回の訪問で出会ったというアーティストがたまたま登場して、再会を喜び合っている。

 時間があるので、ちょっと観光客っぽいことをするか、とVictoria Peakに。展望台に行くと、有無を言わさず写真を撮られる。るいくんと私は明らかにカップルだと思われており、手を握れとか、肩を組めとか指示を出される。おもしろいので言われるがままに記念撮影。
 その後、アートブックの専門店ACOに。雑居ビルの中にある本屋を目指してエレベーターに乗ると、壁や扉にステッカーやフライヤーがベタベタと貼られている。しばらくそこに貼ってありそうなものはアート系の物が中心だったが、最近貼られたと見られる民主化運動のステッカーもたくさんある。本屋に登場すると、月曜日が定休日だということがわかり落胆していると、そこにいた女性が声をかけてくれる。「どこから来たの?」と聞かれたので、「日本です」と答えると、「今日は定休日だけれど、マネジャーとミーティングをすることになっているので15分後に戻ってくれば、店は見られるよ」と教えてくれた。
 善意にお礼を言って、近隣を一周する。どうやらこのあたりは家具や内装の店が並ぶエリアらしく、タイルやドアの店が密集している。
 しばらく時間を潰して、書店に戻ると、さっき点心の店で会ったアーティストの彼も含めて、ミーティングが始まっていた。「今日は休みなの」と言われたが、「明日帰るんです」というと、「じゃあどうぞ」と店に入れてくれた。マネジャーらしい彼女が、ミーティングを中座して、本をいくつも見せてくれた。ジンのコーナーに、&プレミアムで連載していたときにイラストを描いてくれていたストマックエイクさんのジンも置いてある。
 ちょうど抵抗運動をテーマにしたアート展をやっている。そして、マネジャーの彼女は、先日の区議選に出馬して、勝利し、今日のミーティングは今後の展開を相談するためのものだという。
「おめでとう」と一応言うのだけれど、事態が切迫しているだけにそれほどめでたくもないのだろう。少し厳しい表情で、「みんな警察の暴力に、驚き、がっかりし、失望している。政治家になると思ったことはなかったけれど、時流に押されたの」
 市民の5人に1人が参加しているという民主化運動の背景には、その失望があるのだろう。今回の区議選は、危機感を持つ若者たちが多数出馬して、勝利した。このスピード感は羨ましいくらいだ。


 民主化運動とは関係ないが、手にとった墨のイラスト本が素晴らしかったのでそれを購入し、あとは英語のタブロイド新聞を購入した。
 気がつけば、日が暮れようとしていた。坪洲島(Peng Chau Island)に住む音楽家のチャールズを訪ねることになっていたため、フェリーに乗った。香港のフェリーは、オイスターというスイカのようなカードを持っていないと、ぴったりの小銭を入れなければならない。それも中途半端な数字なので素人にはなかなかレベルが高い。まごついていると、係員の女性がやってきた。愛想はないし、若干呆れ顔なのだが、それでも「こっちを通りなさい」と通してくれる。香港の人たちは、愛想はないけれど、なんだかんだで親切という印象。
 小さな島に到着し、商店街をうろつき、お土産の花を買って、少し散歩をした。移住したアメリカ人がスクワットしているというエリアを抜けて、お寺を見た。平日の夜、駅から帰宅する人たち以外、ほとんど人の影はない。まだ時間があるのでスーパーに入ってみた。スーパーを歩いていると、まだ日本のブランド力というものが健在なのだということに気が付かされる。そもそも香港は、製造業はほとんど存在しないから、何もかもどこかから運ばれてきたものだ。卵、お菓子、美容商品まで、日本製の物が誇らしげに陳列されている。
 仕事からフェリーに乗って戻ってきたチャールズと駅で合流し、彼の自宅へ。海に近い集合住宅である。そこで彼の妻のシャロンがご飯を作って待ってくれていた。幸いなことに、彼女はヴィーガンで、驚くほど美味しいディナーをごちそうになった。野菜は島の農家から直接買っているという。
 二人の口から、今の民主化運動の解説を聞いた。穏健で中国政府を信じたい親たちの世代と、中国政府を信じられない若い世代との間で分断が起きていて、家族の中で対立が起きたりもしているという。アメリカでも同じことが起きている。
 香港の民主化運動を見ていて感嘆するのは、関与している人の多さである。なぜこのレベルのエンゲージメントが可能になったのだろう?そう聞くと、チャールズはこう言った。
「中国政府が、どれだけ恐ろしいことをするかということは、我々みんながわかっている。けれど、誰も香港の政府??警察がここまでヒドいとは考えていなかった。や2047年がやってきて、香港が完全に返還される前に、自治を確立したいという思いがある。僕らは、最悪の場合、他の場所に移住する自由がある。若い人たちはそうはいかない。彼らの未来のためにも戦わなければならない」
 要は、今回の身柄引き渡し条約問題で、「将来想定できる悪い状態」がぐっと近づいてきたということなのだった。前に進んでも地獄なら、今、戦わなければならないーー要は、戦わないというオプションはないのだ。
 「中国がどれだけ恐ろしいことをするか」ということの中には、新疆ウイグル地区で起きていることも含まれているのだった。


 チャールズがウィスキーを勧めてくれたので、最後に、ウィスキーを呑んで遅い時間のフェリーに乗って退散した。二人が駅まで送ってくれた。何時間かのことだったけれど、とても良い時間だった。自分の暮らす場所にコミットし、負ける可能性の高い戦いをしている人たちは、とても美しかった。

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