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履歴書③ひつじ、スナックでバイトをする


といっても鳥取の田舎から出てきて、専門学校に行っただけで水商売なんてもちろんした事もなく、スナックとキャバクラの違いもあまりよく分かっていなかった為、かなり不安で時給が安い所なら変な事はさせられないだろうと思い、時給1000円のお店を選んだ。今思っても一応水商売で1000円は安すぎだろう!と思うが。。。

面接の当日お店の場所がはっきり分からなかった為、お店の方と近くで待ち合わせをしていた。どきどきしながら待ち合わせ場所で待っていると40代くらいで細見の眼鏡をかけ家庭用のエプロンを付けた真面目そうな男性が現れた。その当時私が思い描いていたスナックのイメージとは程遠いタイプの方だった為、少し緊張がほぐれた。簡単な挨拶を済ませ、祇園の縄手通りにあるお店に向かった。お店はビルの2階にあった。

木の扉を開け店内に入ると「THEスナック」という感じの内装で落ち着いた照明に店内は照らされ、椅子やソファー類は赤いベロアの物だった。カウンターは大理石で店内の突き当りは壁ではなくレース状のカーテンのかかった大きな窓になっていた。スナックなのにカラオケのないお店だった。

カウンターには美人でお洒落な50代半ばくらいの女性が座っていた。緊張で固まっていた私にその女性が気さくに挨拶をした。酒やけか分からないが声がダミ声だった為、私はますます萎縮しておどおどしていた。

お話を伺うとそのお店は「新派」というスタイルの演劇をする戦後に京都で生まれた老舗の劇団「劇団くるみ座」が経営をしているとの事だった。もちろん私は、そんな劇団がある事すら知らなかったのだが・・・

その女性はナカグチさんといって劇団くるみ座の座長であり女優兼オーナーさんだった。
普段はくるみ座の別の女優さんがメインでママをしているが、週数回のママが休みの日にはその眼鏡のエプロンをつけた男性(kさん)がお店に立つとの事で、私はその方とペアで働くらしかった。
少しだけお話をしただけで色気も無い私なのに、ナカグチさんから「へぇ、ゆみちゃんっていうの?私あなたが気に入ったわ。」とまさかの回答を頂き、私はくるみ座のスナック「くるみ」で働く事になった。昼間は相変わらず喫茶店で働き、週2、3くらいで夜はくるみでバイトをした。

勤務時間は18時~0時まで。くるみではお客さん用のおつまみを数種類手作りで作っていた。よく作ったのはポテトサラダと小松菜と油揚げの煮びたしで、私はおつまみを作る作業は割と好きだった。お客さんはどこかで食事をしてきた後なのに、おつまみを食べてもらえると嬉しかった。

苦手な「おじさん」達の接客をする事になった私は、カラオケに逃げる事も出来ないそのお店で終始居心地の悪い思いをしながらも、笑顔で私なりに頑張った。

お客さんは常連さんがほとんどで年齢層も50代~70代の方が多かったと思う。劇団が経営しているという事もあって、元劇団員の方やテレビドラマの元監督さんや大学の先生も多かった。もちろん生粋の京都人もいらっしゃり、噂に聞く洗礼?のようなものも受けた。働き始めた当初は目も合わせてもらえなかったり、私がキッチンへ入った時に、私に聞こえるような声で「なんであんな色気も無い子いれたんや~」などとKさんが言われているのが聞こえたりもしたが、その当時の私は何だか他人事のように捉えていてさほど気にしなかった。

世間知らずで働いた経験もほとんど無かった私は多分、スナックに立っているという現実を受け入れるだけでいっぱいいっぱいだったのだと思う。

知識も深い教養も無い私は劇団関係のおじさん達の話の内容はいつもちんぷんかんぷんで、話を振られてもどう答えていいのか分からず気の利いた事も言えずいつもヘラヘラしていた。

そんな中、大学の先生達は私にでも分かるような会話をしてくれていたような気がする。本当に頼もしく色々な先生達が常連さんだった。

とはいうものの、くるみでのバイトは暇な日が多くお客さんが来ない日はKさんと色々な話をした。Kさんはくるみ座の裏方のような仕事をしている人で本当に色々な本や映画を見ている人だった。その頃の私は村上春樹にはまり始めていた頃で、Kさんからおすすめの村上春樹作品を聞いたり、他のおすすめ小説や映画を沢山教えてもらったりしていた。

当時の私からみたらKさんも立派なおじさんだったのだが、どういう訳かいつも感じる「苦手」を感じない人で年齢を意識する事なく自然にお話が出来るおじさんだった。ちょっと癖のある変わった人だったので一部の常連さんからは嫌われていたけれど、私はKさんは面白い人だな、と思っていた。かといって恋愛感情などは全く感じなかったが。。。

そんなこんなで5年ほど「くるみ」で働いた。辞める頃には最初に嫌味を言っていたおじさん達にもすっかり受け入れられて、お誕生日にはお花やケーキをもらえるまでになっていた。

昼間のアルバイトは相変わらず半年や1年くらいで変わっていたが、後にも先も5年間同じ場所で続いたのは今の所、このスナック「くるみ」だけである。特に楽しく働いていた訳では無かったけれど、自分で判断出来る気楽さが私に合っていたのかもしれない。

そのスナック「くるみ」も「劇団くるみ座」も今はもう無い。

くるみで働いた事やそこで出会った人達は私の人生にとても大きな影響を与えて頂いたし、人として沢山成長出来たと思う。あの5年間は今思い出しても夢の中の出来事のように感じる。

現在ご存命の中で稼働していた当時のくるみ座と接点を持っている一番若い人物は恐らく私なのではないか、と思う。くるみでの経験は思いとどめておきたい事が沢山あるので、いつか機会があれば詳しく書き留めたいと思う。

おわり


最近、スナックが流行っているけれど本当にすべての大切な要素が含まれている場所なので、まだ未経験の方には一度働いてみる事を強くおすすめしたいです。お客さんで行くだけでもとても勉強になるし、何かしらの発見があると思います。


履歴書④次回はいよいよ、菓子職人になろうと決意します。今までのを読んでくださった方は分かると思いますが、まるで何の取柄も知識も情熱もやりたい事もないフリーターひ弱女子が何故、そのような行動に移せたのか!お楽しみに!





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