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日本人宇宙飛行士の月面着陸構想と中国・ロシアの国際月面研究基地計画 (ILRS:International Lunar Research Station)

 2021年12月28日、日本人宇宙飛行士による月面着陸について、宇宙開発戦略本部で岸田首相が「2020年代後半の実現をはかる」と表明し、かつ、政府が策定する「宇宙基本計画」の工程表を改訂して「米国人以外で初となることをめざす」等記載すると報道されました。(https://news.yahoo.co.jp/articles/44882e692c212d683c511752e76c0511c5c56fa3 TBS NEWS(2021-12-28)参照2021-12-31)

1 なぜ日本が2020年代後半に米国人以外で初の月面着陸を目指すのか
(1)有人宇宙活動に関する過去の政府見解
 日本には、現在、具体的な有人宇宙船の開発計画はありません。

 遡ると、2002年6月の内閣府・総合科学技術会議報告「今後の宇宙開発利用に関する取組みの基本について」には、「有人宇宙活動について、我が国は、今後 10年程度を見通して独自の計画を持たない」と記載されています。

 2017 年 11 月 15 日から施行されている宇宙活動法(「人工衛星等の打上げ及び人工衛星の管理に関する法律」(平成28年法律第76 号))では、人工衛星等の打上げの許可制度を設けているため、有人の宇宙機の打上げであっても内閣総理大臣の許可が必要になります(宇宙活動法 4 条)。

 ただし、宇宙活動法の制定過程では、2015年(平成27年)6月24日の宇宙政策委員会「中間とりまとめ」に「有人宇宙輸送機の打上げは、当面、許可を行わない」と明記されています。2016年10月26日の衆議院内閣委員会では、宇宙政策担当の国務大臣が「現時点で、国内にそれを実現に導く技術基盤もなく、また、規制の対象となり得る立法事実としての具体的な計画」を承知していないため「当面、許可を行わない」ものとしたと答弁しました。

(2)アルテミス計画の遅延と月探査に向けた米中競争
 現時点において、日本では、将来の商業有人宇宙活動にも繋がりうる自国の再使用型ロケットプロジェクトすらも、2030年の実現を目指すとされています。

 2020年代後半に日本人宇宙飛行士の月面着陸を現実化するには、国内の宇宙船開発とその利用は考え難く、米国の宇宙船に頼らざるをえません。

 なぜ今、岸田首相はこのような発表をして「宇宙基本計画」の工程表に加えるのか、この背景には、月探査・開発・利用に向けた米中競争があり、米国の有人月面探査計画アルテミス計画の遅延に加え、同盟国である日本に貢献を求める米国の意向があるのではないかと考えています。

 アルテミス計画には女性と有色人種の初の月面着陸が計画されていますが、アルテミス計画自体、もはや公然の事実として遅延しています。
 例えば、NASAの2021年11月10日付発表によれば、ビル・ネルソン長官は「アルテミス計画の下で最初の人間の着陸は2025年以前ではない可能性が高い。」と発言したとされています。
 また、この直後に公表されたNASAのOffice of Inspector Generalによる2021年11月15日付け“NASA’S MANAGEMENT OF THE ARTEMIS MISSIONS”では、アルテミス計画の遅延を複数の要因を挙げて分析し、トランプ政権下で2024年とされていた宇宙飛行士による月面再着陸実現は2026年以降になる可能性が高い旨言及しています。

(3)着々と進行する中国の月探査計画
 対する中国は、2003年から月探査計画「嫦娥計画」を開始し、2019年1月に月の裏側に世界で初めて探査機を着陸させ、2020年1月には米国・ソ連に続いて世界で3番目に無人機での月の石や砂のサンプル採取に成功し、同年12月にはサンプルリターンに成功する等、とりわけここ数年間において目覚ましい技術力を国際社会に誇示しました。
 2020年9月には、従前から言及してきた有人月面着陸構想の下、有人宇宙船、月面着陸機等の研究・開発を進めていることが明かされました。
 中国が計画を前倒しで実現していることについては「中国が宇宙を支配する日 宇宙安保の現代史」(青木節子 2021年 株式会社新潮社)に詳しく書かれています。

 では、中国は、月でいつ何をしようとしているのでしょうか。

 その分析の一環として、中国とロシアの国際月面研究基地計画(ILRS:International Lunar Research Station)を知る必要があると考えています。

2 中国とロシアによるILRS計画
(1)ILRSのマイルストーン
 2021年3月9日、中国とロシアはILRSを共同建設するための覚書を交わしました。

 同年4月23日、国連COPUOS(宇宙空間平和利用委員会)科学技術小委員会のサイドイベント“International Lunar Research Station ROSCOSMOS/ CNSA Side Event”が開催され、ILRSの建設協力に関するロスコスモスと中国国家航天局の共同声明が発表されました。
 その際に、各国に向けてILRSのパートナーとしての参加の呼びかけが行われたそうです。

 そして、同年6月16日、ロシアのサンクトペテルブルクで開催された世界宇宙探査会議(GLEX)で、中国とロシアの担当者がILRSのロードマップと国際的なパートナーになるためのガイドを公表しました。

 私自身は、国連COPUOS本委員会開催期間中の同年8月30日、中国のテクニカルプレゼンテーションに参加した際にILRSの内容を知りました。この記事では、その際の資料を中心に概要をご紹介します。
(https://www.unoosa.org/documents/pdf/copuos/2021/AM_3._China_ILRS_Guide_for_Partnership_V1.0Presented_by_Ms.Hui_JIANG.pdf)

(2)ILRSの概要
 ILRSは、米国のアルテミス計画とは全く別のプロジェクトです。
 中国とロシアは、ILRSはすべての関心のある国と国際的なパートナーに開かれていると強調しています。

 ILRSとは、月の表面や軌道上に、国際的なパートナーの参加を得て建設される複合的な研究施設群を指すとしています。月の探査と利用、月面での観測、基礎研究実験、技術検証などの多数の科学技術研究活動のために設計され、長期の無人の自動運用が可能で、将来的には人が滞在することも想定されています。

 科学目標としては、月の地形・地形学・地質学的構造、月の物理と内部構造、月の化学(材料・年代測定)、シスルナ宇宙環境、月面での天体観測、月面での地球観測、月面での生物・医療実験、月での資源利用が挙げられています。

 ILRSの施設は、シスルナ輸送施設、月面上の長期サポート施設、月面輸送・運用施設、月面科学施設、地上支援・応用施設などで構成されます。

 開発フェーズは①2021年から2025年の調査段階、②2026年から2035年の建設段階、③2036年以降の利用段階の3段階に分けられており、②の建設段階は、さらに(ア)2026年から2030年と(イ)2031年から2035年の2期に分かれます。

 まず、フェーズ1(調査段階:2021年~2025年)で月の調査・施設の設計・建設場所の選定、安全性を高める高精度のソフトランディングの技術検証を行うとして、中国のCE-4、CE-6、CE-7とロシアのLUNA-25、LUNA-26、LUNA-27のミッションを予定しています。

 次に、フェーズ2(建設段階:2026年~2035年)では、ステージ1とステージ2に分かれます。
 ステージ1(2026年~2030年)では、コマンドの技術検証、サンプルリターン、大量の貨物輸送と安全で高精密なソフトランディング、共同事業を開始するとして、中国のCE-8、ロシアのLUNA-28のミッションに加え、国際的なパートナーの潜在的なミッションも予定しています。
 ステージ2(2031年から2035年)では、エネルギー、通信、輸送サービス、研究、探査、科学実験、月で利用する資源やその他の潜在的な共通技術の検証のための軌道上および地上施設を完成させるとして、ILRS-1から5までのミッションを予定しています。

 最後に、フェーズ3(利用段階:2036年以降)では月研究探査、技術検証、完成したILRSによる有人月面着陸の支援、必要に応じたモジュールの拡張・整備を行うとしています。

 中国とロシアは、国際的なパートナーのために5つのカテゴリーの協力形態を用意して提示しています。

 これまでの報道では、国際的なパートナーとして複数の国や宇宙機関の名称が挙げられてきましたが、現時点において正式なパートナーとしては公表されていません。

 月協定の締約国は18ヵ国(2021年1月1日時点)、アルテミス合意の署名国は12ヵ国(2021年6月時点)ですので、ILRSの国際的なパートナーがどこまで広がるかに注目しています。

(3)ロシアの狙い
 2021年12月29日、ロスコスモスがGlobal Timesの独占インタビューで、2022年に中国とロシアが2023年から2027年までの5年間の新しい宇宙協力プログラムに関する政府間協定に署名する予定であり、その中には2035年までにILRSを建設することも含まれることを明かしたと報道されました。
(https://www.globaltimes.cn/page/202112/1243731.shtml Global Times(2021-12-29) 参照2021-12-31)

 ロシアといえば、ISSで米国と協力関係にあり、2019年4月当時はNASAが主導する月周回有人拠点(Gateway)計画への参加も検討していました。

 また、2021年の国連COPUOS本委員会では、1961年4月12日に旧ソ連がユーリ・ガガーリンによる人類初の有人宇宙飛行を成し遂げてから60年が経過したことを記念して、ロスコスモス主催のサイドイベントが開催されました。
 女性による初の宇宙飛行、初の宇宙遊泳、そして人類初の月着陸を通して、有人宇宙計画の歴史的側面と発展への展望に関して、ロシア、NASA、ESA等の宇宙飛行士らによる意見交換の形式でした。          
 ロスコスモスのモデレータによる有人宇宙活動に対する想いも相まって、本委員会の合間に意義深く和やかな時間を過ごし、印象に残りました。

 他方で、2021年の国連COPUOS本委員会や法律小委員会でのロシアは、米国主導のアルテミス合意署名国による月探査の枠組みに対して、国連の枠組みによる国際協調を重視する立場から度々厳しい指摘をしていました。


 米国に次いで月面を歩く宇宙飛行士を排出する国は、日本なのか、中国なのか、ロシアなのか、あるいは全く別の国なのか、要注目です。