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おっきな《自分》に見守られながら



誰に遠慮してんの?
自分、だよね。
要らない、かもしれない。そんなもの。もう。

素直にお願いする。
聞き入れられるかは分からないけれど。

だけど、叶える自分ってそんなにケチじゃないと思うし、
喜んでくれたら、嬉しそうにしてたら、しあわせそうだったら、
嬉しくない?見てるほうとしては。

そんな自分を信頼してみてもイイ、のかもね?
😌🍀🕊🍃🌈

これ。

たしかに、喜んで、嬉しそう、しあわせそうにしてたら、
見てるほうも、嬉しくなるかも

なんだけど、

きっとこの《自分》ってもっと懐が深くて、

泣いてても喚いてても、怒ってても、憎んでても、
ちーん・・・って落ち込んでても、ふぇふぇ言ってても、
きっと【なんでもよく】て。


”どんなあなたでもいいよ” って、きっと見てくれてる。

わーん、書きながら、泣きそうになる。

どんなわたしでもいいの?

それって、すごい、ありがたいの。


いつも笑顔で居て、楽しく居て、しあわせを感じていて
って言われるよりも、

いいよ、どんなあなたでも、その時そのままでいい
のほうが、今は、楽

そっか、こんなでも、一緒にいられるんだ
って、そのほうが、安心、ゆるまる。かもね

だから、今は。


ふぇ。『自分』ってやさしい。ありがと。

その『自分』を、このわたしが体現しなくてもよくて、

っていうか、そんなの出来ないかもで。


なんでもかんでも、受け入れよう、受け入れなきゃ、許そう、許さなきゃ、ってしなくてもいいのかもって

してみてもいいし、出来るのは素晴らしいことかもしれないけど、わたしはやってみて、出来なかった→一時的には出来てたって言えるのかもしれないけど、ずっとは無理かなぁとか、出来てたようにおもってるだけで、全然かもよ?とかあるから

やりたいならやればいいし、やってみて、出来なーい!なら、それはそれで、そもそも出来るようなことじゃないのかも、とか

いろいろ試す、やってみたらいいのかな、きっと


今のわたしは、おっきなやさしい《自分》に、

”いいよ、どんなあなたでも” って見守ってもらいながら、

いろんなことに、ふぇふぇしながら、

こわいよーうえーん、とか、

出来ないもんそんなの仕方ないじゃん!ってむくれたり開き直ったりしながら、

どこか、こども、みたいに、居てみてもいいのかなって。


年齢的に、こども、のほうが、ずっと、おとな、だったり、

年齢が、おとな、のはずのほうが、ほんとは、こども、だったりして。

こども、おとな、がどういう意味なのか、何を表すのか、

いま分からないまま、書いてるんだけど。


全然、おとな、じゃないし、そんなのにはなれないかもしれないし、

もしかしたら、なりたくもないのかも、だし


ちょっと、このまま、居てみよっかな

何か響くものや氣づきなどありましたら、サポートいただけますとうれしいです☺️🌸感謝と豊かさ、しあわせ循環🐈💞をイメージして、使わせていただきます😊🙏🌈🍀✨