おっきな《自分》に見守られながら
これ。
たしかに、喜んで、嬉しそう、しあわせそうにしてたら、
見てるほうも、嬉しくなるかも
なんだけど、
きっとこの《自分》ってもっと懐が深くて、
泣いてても喚いてても、怒ってても、憎んでても、
ちーん・・・って落ち込んでても、ふぇふぇ言ってても、
きっと【なんでもよく】て。
”どんなあなたでもいいよ” って、きっと見てくれてる。
わーん、書きながら、泣きそうになる。
どんなわたしでもいいの?
それって、すごい、ありがたいの。
だから、今は。
ふぇ。『自分』ってやさしい。ありがと。
その『自分』を、このわたしが体現しなくてもよくて、
っていうか、そんなの出来ないかもで。
今のわたしは、おっきなやさしい《自分》に、
”いいよ、どんなあなたでも” って見守ってもらいながら、
いろんなことに、ふぇふぇしながら、
こわいよーうえーん、とか、
出来ないもんそんなの仕方ないじゃん!ってむくれたり開き直ったりしながら、
どこか、こども、みたいに、居てみてもいいのかなって。
年齢的に、こども、のほうが、ずっと、おとな、だったり、
年齢が、おとな、のはずのほうが、ほんとは、こども、だったりして。
こども、おとな、がどういう意味なのか、何を表すのか、
いま分からないまま、書いてるんだけど。
全然、おとな、じゃないし、そんなのにはなれないかもしれないし、
もしかしたら、なりたくもないのかも、だし
ちょっと、このまま、居てみよっかな
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