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我慢して自分を殺し自分を粗末にしてる人は福運を失う。自分を粗末にしてる人は人からも粗末にされるという法則。「不思議法則」と言う。喜び楽しみ自分の命を輝かす人は自分を大事にしてるので人からも大事にされていく。

私はさっき下記の本を読んでいました。そしたら何と自分の生きてきた人生がクッキリと、浮かんできました。その通りで震えました。自分のことを顧みず尽くす人、こういう人が不思議に行き詰まっている。我慢して、自分を殺して、自分を粗末にしてる人は、福運を失う。したがって、自分を粗末にしてるから、人からも粗末にされる法則なんですね。

同じ事をやっても自分自身が喜びながら、楽しみながら、自分の命を輝かしながらやることは、これは福運になっていくんです。したがって、自分を大事にしているように、人からも大事にされていく。

「不思議法則」というのを書いたんです。いろんな人を見ていると、真面目な人、頑張り屋の人、責任感の強い人、また、思いやりのある人、自分のことを顧みず尽くす人、こういう人が不思議に行き詰まっている。真面目な人が、頑張っているのに不思議に開けない。そこまで人に尽くしている人が、有り難がられるどころか、かえって迷惑がられたり、バカにされたり、ひどい場合は恨まれたりしている。そういう人を見たことありません?真面目な人が意外と開けない。

そうかと思うと、ちゃらんぽらんで、図々しくて、要領よく立ち回っている人が、やることなすこと意外とうまくいく。うまくいくものですから、ますます人に持ち上げられて、ますます、開けていっているという現実がある。

私はいろんな人の人生に出会う場面が多いものですから、よくそういう現象を見るんです。正直者がばかを見て、悪い奴ほどよく太ると。「なぜなんだろう?」最初のうち分かりませんでした。私はちょうどそういうことを研究できる立場にありまして、その結果、だんだん見えてきたことを書いたんです。最初、抵抗がありました。これはちょっと問題あるから載せてくれるかな。カットされるかなと躊躇したのですが、あえて書きました。おそらくそういうことで悩んでいらっしゃる方があるだろうから、そういう人のためにと思って書いたんです。幸い載せてもらえました。そうしたら、何件かやはり問い合わせがきました。

「書いてあるとおりです。私は去年まで一生懸命に色々と頑張り、全力で戦いました。ところが、病気になって、今は生活保護を受けています。なんで、こんなに頑張っているのにこうなるのか、わからない。」

よくわからない」ということで、問い合わせがきましてね。さっそく、お返事を書いて、後で喜んでいただきました。実はこういう現象が起きる原因は、その奥に一つの法則があるからなんですね。

その奥の法則を「不思議法則」と勝手に名づけたんです。

どういう法則かというと、たとえば、困っている人のため、家族のため、また、世の中の正義のために、戦う。だけど我慢して、自分を殺して、すなわち、自分を粗末にしてやる人は、福運を失う。したがって、自分を粗末にしているように、人からも粗末にされるようになっていくという法則なんですね。

「私さえ我慢すれば、私さえ耐えていれば、いつかこの苦労が実るときが来る。それまでの辛抱だ」。「陰徳あれば陽報あり」なんだからと。やればやるほどひどくなるんです。これでもかこれでもかというくらい、ひどい目に遭うんです。

つまり、これは陰徳にならないんです。どうしてかというと、自分を殺しているからです。同じ事をやっても自分自身が喜びながら、楽しみながら、自分の命を輝かしながらやることは、これは福運になっていくんです。したがって、自分を大事にしているように、人からも大事にされていく。

いつも奥様は微笑まれている。「幸せだから微笑むのではない。微笑んでいくことが幸せの因になっていくんだ。幸せだから微笑む、幸せの結果として微笑むんじゃないんだ。どんな大変なときも、そこでにっこり笑っていく、その命に福運が増していくんだ。」という意味の一節がありましたが、まさに、不思議法則です。

たとえば、「すれば開ける」「すれば幸せになる」また、「。。。に挑戦すれば幸せになる」。こういうのを餓鬼道と言見返りを求めている。したがって、やっても開けなかったら恨みになってしまいます。

有名な徳勝童子の譬えがありますね。みんながお釈迦様に供養している様子を見て、僕も何か供養したい。でも、何もさしあげるものがないから、土饅頭をこねてさしあげた。その功徳で阿育王に生まれ変わることができたという話しです。

ところで、もし、このとき、徳勝童子が、土饅頭をお釈迦様にさしあげれば、後で功徳がある。それを期待して土饅頭をさしあげる、という取引のような気持ちでやっているとしたら、その心には、福運はつかないでしょう。真心から喜んでしていく。その命に福運がつくんですね。ギブアンドテイクではないんです。いわゆる自己犠牲精神じゃないんです。

一生懸命、自己犠牲精神で頑張っていればいつか功徳が出てくるだろうというのは間違いですね。この不思議法則。自分を輝かせながら生きていく方と、自分が我慢していく方とどっちでしょう?明らかに前者なんですね。喜んでやってると輝けるでしょう。嫌々、苦しみながらでは、いい写真は撮れないでしょう。

ある人の写真には、訴えかけてくるものがある。どうしてだろうと考えました。そしてつくづく思ったんです。喜びの生命(いのち)に自然が感応しているんですね。その喜んでいる自然を撮っている。だから輝いている。

この話をある人にしました。「みんなにはわからないかもしれないけれど、僕は自然と話ができるんだよ。その対話の写真なんだよ」とおっしゃられたそうです。この不思議法則。現実にどういう行動をとっているかということは大事です。しかし、自身の本心がどっちで生きているのか。

自分の生命を輝かせ、楽しみながら生きる方向なのか。自分を卑下し、追いつめていく方向なのか。その生命の奥底がどちらに向いているかがさらに重要なんですね。

於保哲外先生の指導

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