世界でいちばん貧しい大統領ーホセ・ムヒカ元大統領のスピーチ
美しく生きるために戦ってください。人生の中で立ち止まって鏡をみる瞬間があるでしょう。市場に振り回され、物を買うことに追われると、自由が失われていくのです。
エゴにブレーキをかけてください。自分自身に向き合ってください。人は1人では生きていけない。生まれてきた奇跡に感謝して、人生を愛し、家族そして子どもを愛して向き合う自由を大切にしてください。愛のために生きてください。
世界を変えるのは難しい。でも、何かを残すことはできる。人生は勝利するために生きるのではなく、人生で大切なのは「歩むこと」、つまづいて何度転んでも立ち上がり、また歩み始めること。自分の道を歩むことを恐れず、強い心を持ってください。希望のある人生を!!
2016年、ムヒカ元大統領の来日時の講演会で、心に残った言葉です。当時、以下の本で翻訳協力をさせていただいたこともあって、ありがたいスピーチを直接お聞きする機会に恵まれました。
上記の本で翻訳協力したのは、2014年12月4日にの南米諸国連合(UNASUR)首脳会議でのムヒカ大統領のスピーチの和訳でした。
深夜のファミレスで、涙腺がゆるんで、鼻をすすりながら和訳した記憶があります。だいぶ前のスピーチですが、内容に古さはなく、いつの時代にも通じるものがあります。そんなわけで、少々長いですが、こちらに和訳したものをご紹介させていただこうと思います。
最近、ムヒカ大統領の映画が公開されていましたが、コロナで見逃してしまっています。オンラインで観れる日を待ち望むばかりです…。
南米諸国連合(UNASUR)首脳会議でのムヒカ大統領のスピーチ
親愛なる同胞諸君、大統領の皆さま、ここ数年の変遷を共にした同僚並びに外務大臣の方々に、私はこの上ない感謝を申し上げなくてはなりません。私はいくぶん頭のいかれた市民ですが、唯一の長所はバスク系の血が少し入っており頑固で我慢強く、また粘り強く継続する質(たち)であることです。だからこそ、こうして我慢できたのであって、決して才能ある人間ではありません。
実際、数年間の“刑務所”暮らしは、車の運転速度が遅すぎて捕まったからです。私には英雄としての資質はありません。ただ、内なる炎のようなものを持ち、社会の不正や階級差別には強く抵抗します。
人間は集団生活をする動物だと思います。人間は地球上の人類の歴史の90%を家族や集団の中で生きてきました。一人では生きていけない、他人を必要とする奇妙なサルなのです。それは社会生活を営む“ハードディスク”にインプットされています。従って、人間はポリス的動物と言ったアリストテレスは正しい。つまり、ネコではないわけですから、気づく気づかないに関わらず、人間は社会を必要としているのです。
しかし、歴史的転化は地球上の人類の歴史の90%ではなく最後の10%で起こり、文明の名において我々に素晴らしいものを与えてくれました。つまり今世紀には平均寿命が100年前と比較して40年以上伸びました。要するに、私が分かっているのは飢餓がある一方で、人口は倍になり、食糧の量も倍になったということです。しかし残念なことに、我々は生産される食物の約30%をごみとして捨てているのです。犬にさえ与えず、貧しい人々に与えることもしません。
このことは我々文明のあからさまで明白な敵対的矛盾となって、我々に正義をもたらし、戦い続けるエネルギーを与えてくれます。
いまだかつて、現代ほど人間が多くを所有したことはありません。これほどまで知識を得たこともありません。私は懲りずに繰り返しますが、どうか思い出していただきたい。世界では1分間に数百万ドルが消費され、数百万ドルが軍事予算に費やされているのです。
貧困を救うための地球規模の大規模なマーシャルプランのためのお金はこの世にない、何百万人もの貧しい人々が人間らしい暮らしをおくれるように、統制をはかり世界の需要を拡大するお金はないと言う。そのための資金がないと言うのは、私に言わせれば恥じらいを持たないということです。
世界で二番目の金持ちが毎日100万ドル使ったら、使い切るのに220年生きなければならないと言われていますが、実際には2、3%の利率で1日に400万ドル入ってくるわけですから、もっと時間はかかるでしょう…。この世にお金はないと我々が言うのは、お金のある人から徴収せず、頼むことも、彼らのポケットに手を突っ込むこともできずにその場を繕う臆病者の政治家だからです。
だから我々は政治の世界にいて、だから政治の世界で戦うのです。つまり簡単に言えば、弱者のために少々厚くベーコンを切るということです。なぜなら政治とは選択して決断するものだからです。決断の選択が誰かに有利に働けば、誰かには損害を与えてしまうかもしれない。マジョリティーといるかマイノリティーといるか、中間はなく、中立ではいられません。決断を下さなくてはならないのです。
しかし皆さん、これ以外にも別の、正義よりもっと大切なことがあります。我々の中には、この世は涙の谷だが、いずれ天国へ行けると言われて育った者もいますが、私はそのようには思いません。天国はここ、また、刑の宣告もここ、従って、人がより良い暮らしをするために、今この人生において我々は戦わなければなりません。中間はないのです。
これこそが、忘れられた最も基本的問題を話すには、意味のあることなのです。
私は賞賛されても浮かれたりしません。ごく当たり前の老人として、ここを出ていくでしょう。意味があるのは考えることです。ここには沢山の若者がいるわけですから、若い人にこそ知っておいていただきたい。人生は儚く、1分1分尽きていくのです。スーパーに行って買い足せるものではありません。だからこそ人生をいきいきと、有意義なものにするために戦って下さい。
人間と他の生きものの生き方の違いは、あなた自身がある程度人生の方向性を決められるところです。自分自身で己の道を築くことができるのです。生まれたまま生きる植物ではないのです。
生まれた後、人生を意味あるものにするかしないかは、あなた次第です。つまり、人生を投げてしまうのは、市場で命を売るようなものです。カードの支払に追われ、どうでもよい買い物をして人生を送るうちに、気づいた時には私のような全身リューマチを患った老人になっていますよ。一文無しになったあなたは、この世で一体何をしたのでしょうか?
しかし夢を持ち、希望に向かって奮闘し、後の者たちにそれを伝えようとしたならば、その息吹は丘や海を渡り、かすかな記憶となって残るでしょう。それは記念碑や本より、歌や詩よりもずっと価値があります。人類の希望は新しい世代で実現していくでしょう。
皆さん、命ほど価値のあるものはありません。どうか幸せのために戦って下さい!幸せとは人生を意味のあるものにし、人生の方向を定めること、奪われてはいけません。そのためのレシピなどないのです。この世に奇跡的に生まれたという素晴らしい機会を活用すれば、幸せはあなたの心の中にあるでしょう。
さらにもう一つ、若い諸君へアドバイスがあります。不可能なことは、たとえ困難でも、もう少しと挑むことです。敗者とは、肩を落とし自らを放棄してしまった人のことです。人生はあらゆる問題に直面し、何千回とつまずくものです。愛に、仕事に、今構想中の冒険に、叶うと思っていた夢につまずくこともあるでしょう。それでも、あなたには何千回でも立ち上がり、やり直す力が備わっているのです。大切なのはその過程なのですから。
ゴールはありません。勝利のアーチも、我々を待っている楽園もなければ、戦死した者を受け入れるハーレムに仕える美女もいません。何もない、そこで終わった、それだけです。いや、でも別のものはあります。限りある人生を生きて、人生を愛し、どんな境遇であろうと人生のために戦い、それを伝えようとする美しさです。人生は受けとるがままではなく、何より持っているものを与えるものだからです。どんな悲惨な状態でも、常に他人に与えられるものはあるのです。
皆さん、私は南米の小さなスイスと呼ばれる国の若者でした。1940年代はラテンアメリカ中から若者が国を出て勉強しに行きました。英国では、我々は特権を与えられた私生児のような存在でしたが、非常に上手くいっていました。アルゼンチンにおいても同様に、世界の権力ある国々の中で誇り高くありました。
リオ・デ・ラ・プラータは、ラテンアメリカの中でも特殊なものでした。我々はほとんどヨーロッパ人のようだったし、先ほどまで自分たちはそうだと思っていました。しかし、それは妄想だったのです。時代は移り変わり、世界は再調和を図りました。戦後、交易指数が使われるようになり、国際通貨基金(IMF)に債務を負い始めたのです。それが私の青春時代でした。非常に美しく高くあったものが崩壊してしまったのです。上手くいっていたものが崩れ落ちるほど手に負えないものはありません。 悪い状態に慣れている者は諦めてしまうでしょうが、良かった状態の者が転げ落ちたのです…。当時、発言して叩かれても、世界を変えようとした動きがありました。ゆえに、そうした運動に私も属しています。しかし、我々はとことん打ちのめされました。それでも、我々は夢を胸に秘めていました。当時、プロレタリア独裁が階級闘争における重要な説明になると思っていました。当然、各世代がその浮き沈みを経験しています。しかし、心の中に抱いていた昔の情熱が大きかったからこそ、我々は今に至っているのです。犯した間違いに気づき、一方では人生を抱擁する大いなる寛大さにも気づいています。
今、世界は物やお金や資源に溢れています。それなのに、なんとまあ…人に車を貸ししぶり、物乞いをする人々に手を差しのべたがらず、犬を拾って餌をあげることさえも惜しんでいるように見えます。なぜって私に分かるもんですか!今我々が生きるこの世界ほどケチな世の中は見たことがありません。心を開いていたあの青春時代が懐かしい。たとえ間違ったとしても構わずに捧げ、すべてを差しだし、自分は何も持たずにいた、そんな時代でした。
私は若者たちに何を伝えたいのだろう?
過去の愚痴や、間違いに文句を言いたいのではありません。人生は長く続く学びの場で、途中で疲れ果て、踏みつぶされそうになったりすることがたくさんあります。しかし、私たちを駆り立てた昔の理想は、今生きているこの世界にも存在しているのです。
こんなにも世界は資源が豊かで可能性にあふれているのに、かつてないほど富は集中し、今までにないほど貧富の差が激しくなっています。
人間は限りなく良い社会を築けると思うし、そう信じています。そのためには、人類の歴史の基本にある古代社会に目を向ける勇気を持っていただきたい。それは石器時代の人間に戻るということではなく、命を守るために関わる寛大さを学び、これを理解していただきたいのです。それは基本的なこと、最もシンプルなことを理解することです。つまり幸せでいるためには、他人の命も必要としているのです。個人は無にすぎないのです。個人は社会に属しています。社会の歩みがあって、我々の生活は永続的に豊かになり、向上することができるのです。したがって共有する理想を、今この歴史の中で、この瞬間に掲げなければなりません。ここラテンアメリカでは、その理念をこう呼んでいます。互いに親しくなる努力。一体化の努力。多様性を尊重する文化を再建する努力。なお、この多様性は、我々特有の歴史形成から生まれた、奥深くに隠れている私たちを表現することです。これらは政治的意志と公約があれば、我々には実現可能であるし、また、そうしなければならないのです。
若い諸君、幸せに生きたいのならば、あなたが思う幸せに関する理念を掲げて下さい。その理念に向かって生きて下さい。市場(しじょう)に支配されないで下さい!
ラテンアメリカ諸国は出遅れて後方にいたからこそ、我々は地球という生命の船を意味あるものにした非凡な創造物を守る動物として、我々ラテンアメリカ諸国を人類の文明の宝庫にしなければなりません。平和な南米大陸、公平な南米大陸、団結の南米大陸、生まれて死んでいくに美しい南米大陸、正義にイエスと言える南米大陸、憎しみのない南米大陸、復讐のない南米大陸、地球上の人間の存在に威厳を与える南米大陸でなければならないのです。
人生を意義あるものにして下さい。意識的にそれをしないと、必要のない新しいものに月末の支払いを当て、慢性的な悪循環に陥り、ついに人生の最後を迎えることになるのです。とうとうある日、立ち上がれなくなってさようならです。あなたについて、思い出も気配すら残りません。コレア(大統領)、違いますか?
青春時代は一度きり、しかし、それは外枠的なものに過ぎません。若さの他に別のものがあります。不躾ですが、鏡でご自身を見つめ、現実と関わることです。それは若くても、年寄りでも中年でも出来ることです。世の中を男女で分ける必要はないし、黄色や黒といった肌の色で分けるべきでもありません。むしろ二つの部門に分けるべきなのです。関わり合う人と、関わり合わない人に。関わり合うということは、お互いに理想を抱くことです。
従って、私にはこの世を去る時間が近づきつつあることが分かっています。いつ何時、あなたも過失や災いに遭遇し、逝ってしまうかもしれません。そんなものです。私はまだ死後の世界も神も信じることができていません。しかし、すべての宗教を尊重します。なぜそれほどまで宗教を尊重するかお分りでしょうか?なぜなら病院の待合室で、宗教によって、死に際にある人々が大いに助けられたのを目にしたからです。だから、私は宗教を信じませんが、宗教を馬鹿にしたりしませんし、尊重しています。
宗教の効力については、考えさせられるものがあります。どの時代、どの年代においても、また地球上の人類の歴史のあらゆる場所においても、人は常に何かを信じています。人間ほど空想的な動物はいません。だからこそ、死後の世界の必要性を築くことができるのでしょう。私は人間が好きですし、人間を賞賛しています。そして宗教を尊重します。しかし、近いうちに私は僅かな塵となることも分かっています。一羽の鳩になって、だれかの頭上を飛びまわっているかもしれません。
エクアドルよ、ありがとう!皆さんに愛を込めて!
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