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あんたと話していると、逃げ場がなくなるー

母からそう言われるほど、白黒ハッキリさせないと気が済まなかった私。あれは25歳の時まで遡ります。死にたいと本気で考えるほど思い詰めていたあの時、ある人から言われた「性格は変えられるんだよ」という言葉を信じ、自分の生き方を変えました。

【まさか強かったはずの私が…】

新卒で就職したのは、大手コンビニエンスストア。コンビニの店舗オペレーションから社会人生活が始まりました。キャリアウーマンに憧れていた私は、店担当社員として都内の虎ノ門にある店舗に従事していました。店の売上を最大化するべく、早朝から深夜まで働き詰めでした。店舗には自分を含め本部社員が3名いて、他の2名は体力のある若い男性。長時間労働では2人に敵いませんでした。1年も経たないうちに私は身体を壊し、本部事務スタッフへと異動願を出しました。そして人事部へと配属されたのです。人事部へ異動し、担当することになったのは社員の給与や社会保険の担当でした。チェック柄のOL服に身を包み、朝は会議室の机の水拭きから始まりました。毎日全国の社員から、問い合わせの電話が鳴り続け、ワンコールで電話を取るのは下っ端の私の仕事。女性だからと押し付けられる雑務と、つまらない仕事に毎日うんざりしていました。

キャリアウーマンに憧れていたのに…。
責任のある仕事をしたかったのに…。
女性だからと見下されたくなかったのに…。

希望いっぱいで上京した私は打ちのめされました。そんな絶望感の中で1年ほど働いた頃、月曜日の朝イチの会議中に涙が止まらなくなりました。「うつ」でした。勤めていたのは一部上場企業だったため、専任の産業カウンセラーが常駐しており、私は上司からカウンセラーに相談するよう指示されました。まさか私が「うつ」だなんて、信じられませんでした。

【人生初のカウンセリングを受ける】

産業カウンセラーに予約を入れて、人生で初めてのカウンセリングを受けました。

キャリアウーマンに憧れて、蓋を開けてみたら活躍なんて無理だった…。力が尽きるまで働いてアイツらに勝ちたかったのに、体力は無限ではなかった…。女性というだけで男性が担当しないクソ仕事ばかり押し付けられて、いいところは全部ヤツらが持っていく…。こんな会社にいても私の活躍できる場なんてない。

確かそんな話をカウンセラーにぶつけて、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになって必死で話をしていました。そんな私の話をカウンセラーは優しく丁寧に包み込んで傾聴してくれました。こんなにも話を聞いてもらったことはありませんでした。初めての体験でした。一通り、なぜこの状態に至ったのかを話した後、そのカウンセラーは私に言いました。

「あなたは転職した方がいいわね。そして受容と共感ができているから、カウンセラーにむいてるわ。」

一瞬耳を疑いました。私がカウンセラー?心も身体も弱りきっていた私には何が何だかわかりませんでした。

【人は一人では生きていけない】

結局そこから8か月ほど休職することになるのですが、実家の愛知に戻って静養しました。心療内科に通い、薬を処方されました。実家に戻った初日の深夜、私はパニック発作を起こし、救急車で運ばれました。本当に死ぬかと思うほどドキドキして、心臓や手足がひんやり冷たくなっていき、気を失いました。その日は朝方まで、運ばれた病院で点滴を打って過ごしましたが、同伴してくれた両親は泣いていました。これだけ弱った私を両親は見たことがなかったと思います。私も自分の状況が信じられませんでした。弱ってみて気がついたのは、人は一人の力では生きていけないということです。本当に情けなかったです。

朝は早起きして太陽の光を浴びること、三食ちゃんと食べること、運動をすること、早く寝ること。心療内科の先生に言われたこれらのことを守り、毎日を過ごしていました。ボーッとしていると心配事で頭がいっぱいになってしまい、考えないようにするのに必死でした。キャリアウーマンで行くのか、つまらない事務で生きていくのか、その二択。そう考えると息がつまりそうでした。どちらも無理だ。どうしたらいい。何ヶ月もそんな押し問答を自分の心の中で続けていました。そんな状態でずっと過ごしていましたが、定期的に通っていた心療内科の先生には、こう言われ続けていました。

「性格は変えられるんだよ」

そっか、私は性格を変えないと生きづらいのかもしれない…。ストレスで満タンになっていた私の心の袋は、静養したことにより少しずつ余白ができ始めていました。そんな先生の言葉が私の心の中に入ってくるようになり、色々と諦めてみよう、何かを手放してみよう、誰かに甘えてみよう、そう考えるようになりました。人は一人では生きていけない。何かを諦めたり、誰かに頼ることは恥ずかしいことじゃないんだ。そう思えるようになってきたのです。

【性格は変えられる】

何かを我慢することで得られるものはあるかもしれません。でも我慢を手放すということをしてみると、自分を開放して生きやすくなります。私の場合「女性であること」を我慢して「男性のように生きていくこと」を受け入れようと必死になっていました。生物学的に絶対に無理な課題を自分自身に課して、苦しめていました。キャリアウーマンでなければ社会で活躍したことにはならないという自分の中にある偏見に気づき、それを否定することはとても辛いことでした。白黒つけなければ気が済まなかった私は、こうならなければいけないという固定概念を捨てて、人は弱る時もある、負ける時もある、ダメな時もあるという「グレーゾーン」があることを受け入れ、さまざまなものを手放し、いろんな気持ちを理解できるようになりました。「うつ」は結果的に私の人生を変える出来事になりました。そしてあの時カウンセラーに言われた言葉がずっと私の心の中に残っていました。

「あなたは転職した方がいいわね。そして受容と共感ができているから、カウンセラーにむいてるわ。」

25歳の当時から月日は流れ、私は今その言葉を信じてキャリアコンサルタントとして活動しています。人生のどん底で出会った人や言葉は、今の私の心の糧になっています。

我慢を手放す。是非、辛くなったらやってみてください。自分を解放したら、生きやすくなり、ちょっと優しくなれた気がします。


#我慢に代わる私の選択肢

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