私がエステティックサロンを創業したのは24歳の時 当時は、「フェイシャル」という言葉もあまり馴染みがなく、「美顔」という言葉を使っていました。 「トータルエステティック~dear~」という名前で「美顔」と「痩身」の2つのメニューでスタートでした。 なぜフェイシャルをやってきた私が「痩身」をメニューに取り入れたかというと、その当時は「フェイシャルエステ」が本当に少なく、フェイシャル(美顔)だけでは、集客が難しいだろうという考えからでした。 当時の女性にとって、エステといえば
2020年10月商標登録の申請が認められました。 「お肌が変われば心が変わる®️」 この言葉は商品を伴わないただの言葉、ですが私と私と関わって来てくださったお客様にとっては、大事な言葉なのです。 私は自己紹介にも書きましたが、自分自身の肌トラブル(小学生からのニキビ)のために、卑屈な青春時代を送っていました。 その頃の私は、自分の顔(特に肌)を見られることが嫌で辛くて、知らない人(新しい人)に会うことが苦痛でありました。 知っている人でも、肌を見られた時には、「あっ、今
フェイシャルサロンを創設して 小学5年生からニキビ肌に悩みはじめ、高校生になった頃から数々の皮膚科や化粧品店を巡り、肌改善の難しさを痛感。 20歳の時、やっと肌改善に向かわせてくれるフェイシャルサロンと出会う。 お肌の改善とともに人生も輝き出したことから、お肌で悩む女性のためにエステティシャンになる。 24歳で生まれ育った大阪府大東市でフェイシャルサロンを設立。 常に最新、最高の美容をと、最新機器の導入や、皮膚医学、東洋医学などを追求。お肌のことならどうにかしてくれる!サロ