ROMAの太陽の色

だらだらと、日がな一日窓の外を眺めています。そしてずっと空を見ている。薄い水色のオーガンジーのカーテンは、私なりの配慮。いつでも空と調和するように、部屋の中と外を断絶しないようにというつもり。おかげさまで眩しいし、外からも丸見え。こんなことばっか言って嫌なんだけど、本当に、空ってどんなときもきれいだよ。曇っていてどんより分厚い雲が、一面に広がっている日は、もうそれだけで嬉しいのに、これ以上何もしなくてもいいよって言われてるみたいに優しい。そして、言葉で表そうとするのがはばかられるような、あの鋭い光。雲の切れ間から急に現れる、圧倒的に明るい白っぽい黄色い太陽。私をめがけて一直線で責めてくる。この部屋中のホコリやゴミの存在をあらわにする、私の中の切なさやるせなさの存在もあまりにも露骨に示される。このまとわりつくすべてのものを蹴散らせない自分にいらつく。ね、やっぱり私が一番でしょ?眼球の奥の方まで照らしてくる光。こんなにも何もできない私への最後の最後の優しさにも思える。それすらあきらめてしまいたい、ここであきらめなくちゃ今まで何だったんだ、もういいでしょ、悲しみの方が気持ちいよっていうささやきに負けなくちゃいけないような気がする。だけど割とすきなんだよこういう遊びが。おもいっきり掃除と洗濯したあとに、なんでもいいからなんか書いてみよう。ヘタクソじゃ嫌だ全然満足できない、誰かみたいになりたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?