ぽあだむみたいな日

昼ごろようやく床から這い出て、今日が予想以上にすばらしい日だとわかった。なにか、この日にふさわしいことをしたかった。

本当は毎日そう思っている。その日にふさわしいこと、をしたい。一体なにがふさわしいことなのか。いつも正解は一つで、それももうわかっている。結局、なりたい気分は一つしかない。何でもかんでも失敗しないようにしてしまう、分かりきった結果がもらえそうなことばかり選んでしまう。この良き日に私はついに死んでしまいたかった。私は死んだらお墓になんか入らないし、できたら土葬してほしい。そしたらこの、今日みたいなすてきな陽と一体になれそう。自然とか宇宙と早く実際に繋がりたい。まずは私が、地球の自然環境保護の手助けになる。

しかし今すぐはちょっと死ぬ気になれないから洗濯をすることにした。しかもシーツを洗おう。掛布団も干そう。私の家の洗濯機はベランダにある。ベランダの塀から身を乗り出してタオルケットをはたく。風にたなびくタオルケットと私の髪の毛。今日は日曜日だ、昼にパジャマ姿の若い女がベランダで洗濯物を干しているのがものすごく正しいことに見えるだろう。私は今から、会社に勤めている23歳の女になりきる。休日に遅く起きて家事をしているまじめなえらい子。繁華街を堂々と、安心して歩ける気分だった。

いつも静かな私たちの家。だから外の人の会話とか声とかがよく聞こえる。いつもいるおじさんの声も話の内容も大嫌い。猫の鳴き声、韓国語、トラックが右折するアナウンス、バックする時の警報音、リビングの床に座ってベランダの方を見ている。カーテンがないから、干してある洗濯物の様子がよく見える。薄い氷みたいな陽の光が洗濯バサミに反射している。部屋の中に洗濯物の影ができている。ハンガーにかけて干してある数枚のTシャツどうしが、風にあおられて密着してしまっている。私はベランダに出て、それをなおす。隙間がないと乾かないから。私は再び身を乗り出した。こんどは何も持っていない、落とす心配はない。遠くの、モコモコした山々を見た。反対側の山ならここからわりと近くに見える。とにかく、明るい陽が射しているときと、いないときがある。唯一布に覆われていない体の一部、顔だけが鮮明な風の温度を感じられる。真下を見ると、半分に切ったカボスが落ちていた。シーツがどのくらい乾いているのかを触って確かめた。もう完全に乾いているところと、まだまだ全然乾いていないところがあった。とても清潔な匂いと肌触り、今晩はこのシーツで眠れるのが嬉しい。

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