2020年の3月19日と20日

2020年の3月19日と20日 正式な春、明日は立春。世の中の動きはいつも個人の感覚に比べてだいぶ鈍感。

ほんの少しだけ二日酔な上に、目を酷使しすぎて眼精疲労もあって頭が痛い。でもソファに横たわって幸福について書かれた本を読んでいる。その真っ只中、私の体が、幸福、の中に吸収された状態になってしまった。少し眠たいけれど眠れない。黄色っぽい白の光が世界のすべてになっていて、外から聞こえる音の一つ一つに対して、それを発する一つ一つがあるのだということを実感してしまうような、柔らかくて鋭い四次元にいるみたい。体がほんの少し浮いて、いやにふんわりした幸福に包まれている。こんなものが、ただの本格的な春なのか。でもたぶんそうなんだろう。

今日は今日で今日の歌が歌いたくて、どんなに素晴らしくても誰かの作った歌じゃ、満足できないよ。私の歌は他のどんなものよりもショボくて下手でなんの力も持ってないけれど、いまのところそんなもんでも、それじゃなくちゃ満足できない。自分自身のショボさやつまらなさを強く感じてでも自分でいることをしないと、とても虚しい。こんないい天気の日に日当たりのよい野原で過ごすよりもさらに朗らかなことを、この部屋でしているつもりなんだよ。この部屋の窓から見える青空と、網戸ごしに入ってくるぬるい微風、それだけが今の私にとっての最大限の春だけれども。せめて、洗濯物をしまくってベランダに出る機会を増やすくらいだな。あまりにも溶けそう。嬉しさそのものが募ってきて、どこかしらが悲しいような気になる。なにも踏みにじってなどいないよ。こんな荒れた部屋でも、掃除機をかけさえすれば途端に復活する。すぐになくなってしまう、元の状態以上にひどいものになる、それをまた整える。家事と季節は似ている。やってもやってもすぐにまた悪くなってキリがない。脱水がうまくできていない洗濯物は洗う前より汚く見える。私、虫みたい。暖かくなると活発になるし。私は虫が大嫌いだけど、きっと同類なのだろう。ご近所に住んでいる人に私のコアがばれていて、もうすでに染み出していて怪しまれているような、気分になるのが好きなんだ。

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